かつての名鉄美濃町線の終着駅の関です。
’99年04月の新関−美濃間の部分廃止のあと、利用者の便を図るために新関から長良川鉄道の関に連絡するここまでの路線延長をし(手続き上は路線移設とのこと)ここ関が終着駅となりました。
新関−関間は’99年04月から’05年04月までのちょうど6年しか、電車が運転されなかったことになり、近年の廃線では特筆すべき短命である。写真にも電柱状の真新しい架線柱が2本だけ写っていますが、これがこの短命だった区間にずっと立ち並んでおり余計に物悲しい。
往時から路面電車型車両の特性を生かした形態で特に駅舎もなかったので、廃止からまだ日が浅い事もあり見た目は”名鉄 関”の駅名標が取り外されただけにしか見えない。写真に写る駅舎っぽい屋根は自転車置き場でこれも当時からあるもののようです。
Sunday, August 29, 2010
終着駅シリーズ65:新関(’08年12月28日撮影)
かつての名鉄美濃町線の終着駅の新関です。美濃町線は全通時には美濃まで路線がありましたが、’99年03月31日に末端のここから美濃までの6.3kmが廃止となり、翌日から長良川鉄道への連絡のため路線が関まで延長されています(手続き上は路線移設だそうです)。しかしながら並走する岐阜バスとの競争に勝てず’05年04月01日全線廃止となりました。筆者は路線形態が独特で面白くて何回か乗りに行ったものです(岐阜バスも名鉄グループなのになんとかならなかったのだろうか?廃止ありきだったのかな?)。
さて駅です。まだ廃止から日が浅いこともあり、駅舎は往時と同じように残っていました、線路跡やプラットホームなどの残っています。さすがに駅の上に掲げられていた”新関”と書かれた大きな駅名標は外されていました。ただ一番大きく違うのがこの駅の利用法で、なんとタクシーの営業所?になっていました。だから常に写真のようにタクシーが横付けされています。
路線バスは、筆者が岐阜駅から乗車して来た系統のように多くはこの駅前には入らなくなっていますが、入る系統もあるようで、この駅の対面にはバス乗り場があります。ちなみに入らない系統に乗った場合は栄町1丁目で降りると、ここの近くで降ろしてくれます。
さて駅です。まだ廃止から日が浅いこともあり、駅舎は往時と同じように残っていました、線路跡やプラットホームなどの残っています。さすがに駅の上に掲げられていた”新関”と書かれた大きな駅名標は外されていました。ただ一番大きく違うのがこの駅の利用法で、なんとタクシーの営業所?になっていました。だから常に写真のようにタクシーが横付けされています。
路線バスは、筆者が岐阜駅から乗車して来た系統のように多くはこの駅前には入らなくなっていますが、入る系統もあるようで、この駅の対面にはバス乗り場があります。ちなみに入らない系統に乗った場合は栄町1丁目で降りると、ここの近くで降ろしてくれます。
Tuesday, August 24, 2010
終着駅シリーズ64:広電宮島口(’06年06月03日撮影)
広島電鉄宮島線の終着駅の広電宮島口駅です。宮島口からはフェリーに連絡し、世界遺産であり日本三景のひとつに数えられる宮島(厳島)に渡ることが出来る。JRの線路よりは海側に位置する為、フェリー乗り場には近い。
かつては、まだ海を渡っていないにも拘らず、広電宮島(笑)という強気な名前でしたが、近年JRと同じ(広電)宮島口と改称された。
駅はICカード化が進んでおり、PASPYと呼ばれる広島地区の鉄軌道で利用できるカードが使用できる。このカードはICOCAカードの片利用により、同エリアをICOCAカードで利用する事が出来る。また、この駅から宮島方面では松大連絡船と広島観光開発(宮島ロープウェイ)もICカード化が進んでいて、同カードが利用できる(ICOCAで乗れるロープウェイはちょっと珍しいかもしれない)。
かつては、まだ海を渡っていないにも拘らず、広電宮島(笑)という強気な名前でしたが、近年JRと同じ(広電)宮島口と改称された。
駅はICカード化が進んでおり、PASPYと呼ばれる広島地区の鉄軌道で利用できるカードが使用できる。このカードはICOCAカードの片利用により、同エリアをICOCAカードで利用する事が出来る。また、この駅から宮島方面では松大連絡船と広島観光開発(宮島ロープウェイ)もICカード化が進んでいて、同カードが利用できる(ICOCAで乗れるロープウェイはちょっと珍しいかもしれない)。
終着駅シリーズ63:大須(’08年12月28日撮影)
かつての名鉄竹鼻線の終着駅の大須です。
竹鼻線は’01年10月1日に江吉良からここまでの6.7kmの区間が廃線となり、この駅には電車が来なくなりました。現在は電車は江吉良から羽島線に乗り入れ新羽島で終点となっている。
駅名となっている大須は、写真に写る橋を渡った先にある”お千代保稲荷”のことを指していると思われる。筆者は神社仏閣?には明るくないのですが、ここは「名古屋の大須観音のふるさと」と言われる稲荷さんであるらしく、年末年始には初詣客でおおいに賑わうようです。
さて写真ですが、大須駅の終端方向を向いて撮ったものです。ちょうど撮影場所付近に線路が、向こうに見える橋に向かって延びていたものと思われます。(色が黒色っぽいところが線路、茶色っぽいところが駅舎でしょうか?)画面の右の方には駐輪場がありますが、おそらく駅がある時からあるものでしょう。
現在は羽島市役所前からここまでが、羽島市のコミュニティバスが、ここからお千代保稲荷方面は海津市の広域バスが運転されています(ネットの情報によれば広域バスは’09年に廃止され、同じ海津市のコミュニティバスに転換されたようです)。
竹鼻線は’01年10月1日に江吉良からここまでの6.7kmの区間が廃線となり、この駅には電車が来なくなりました。現在は電車は江吉良から羽島線に乗り入れ新羽島で終点となっている。
駅名となっている大須は、写真に写る橋を渡った先にある”お千代保稲荷”のことを指していると思われる。筆者は神社仏閣?には明るくないのですが、ここは「名古屋の大須観音のふるさと」と言われる稲荷さんであるらしく、年末年始には初詣客でおおいに賑わうようです。
さて写真ですが、大須駅の終端方向を向いて撮ったものです。ちょうど撮影場所付近に線路が、向こうに見える橋に向かって延びていたものと思われます。(色が黒色っぽいところが線路、茶色っぽいところが駅舎でしょうか?)画面の右の方には駐輪場がありますが、おそらく駅がある時からあるものでしょう。
現在は羽島市役所前からここまでが、羽島市のコミュニティバスが、ここからお千代保稲荷方面は海津市の広域バスが運転されています(ネットの情報によれば広域バスは’09年に廃止され、同じ海津市のコミュニティバスに転換されたようです)。
Sunday, August 22, 2010
終着駅シリーズ62:福島(’08年11月28日撮影)
福島交通の終着駅というか始発駅の福島駅です。ここから出る路線は2路線あり、ひとつは福島の奥座敷の飯坂温泉への路線、もう一つは第3セクターの阿武隈急行の路線である。
場所は福島駅の駅ビルの脇に、もう仕分けなさそうに鎮座している。ラッチでも切り離されており、乗換は不便だ?(乗換改札があるのかな?)。ただおかげで写真のようなローカル色豊かな駅に仕上がっている。
場所は福島駅の駅ビルの脇に、もう仕分けなさそうに鎮座している。ラッチでも切り離されており、乗換は不便だ?(乗換改札があるのかな?)。ただおかげで写真のようなローカル色豊かな駅に仕上がっている。
終着駅シリーズ61:鉾田(’06年05月13日撮影)
鹿島鉄道の終着駅の鉾田です。
鹿島鉄道は石岡駅からここ鉾田へ至る、全長27.2kmのローカル私鉄であった。路線は’07年04月01日をもって廃止となっている。廃止時にはかつては関東鉄道の一部だったが経営的に分離され鹿島鉄道となっていた。
この写真は、既に廃止の方向に傾いていた’06年5月に撮影したものである。駅構内には”かしてつを救え!”のポスターが多数貼られていた。その願いもむなしく、結局は廃止となってしまった。
皮肉な事に、廃止後、沿線にある百里基地の一部を利用した、茨城空港が開港し、空港への旅客輸送の定時性と速達性の確保を目的とし、この線路敷きの一部をバス専用道路として改修する工事が進められている。なんとかならなかったのだろうか?
特に茨城空港はその建設費が安かった事で、空港利用料が安く、LCC向けの空港として注目されており、中国のLCCが上海へ4000円で飛ばす計画などがあり、今後の発展が期待されるだけに残念である。
鹿島鉄道は石岡駅からここ鉾田へ至る、全長27.2kmのローカル私鉄であった。路線は’07年04月01日をもって廃止となっている。廃止時にはかつては関東鉄道の一部だったが経営的に分離され鹿島鉄道となっていた。
この写真は、既に廃止の方向に傾いていた’06年5月に撮影したものである。駅構内には”かしてつを救え!”のポスターが多数貼られていた。その願いもむなしく、結局は廃止となってしまった。
皮肉な事に、廃止後、沿線にある百里基地の一部を利用した、茨城空港が開港し、空港への旅客輸送の定時性と速達性の確保を目的とし、この線路敷きの一部をバス専用道路として改修する工事が進められている。なんとかならなかったのだろうか?
特に茨城空港はその建設費が安かった事で、空港利用料が安く、LCC向けの空港として注目されており、中国のLCCが上海へ4000円で飛ばす計画などがあり、今後の発展が期待されるだけに残念である。
終着駅シリーズ60:福住(’06年03月05日撮影)
かつての国鉄篠山線の終着駅の福住です。
国鉄篠山線は篠山口駅からここ福住までの全長17.6kmのローカル線で、丹波地方のマンガン輸送を目的として戦時中の’44年10月に開業し、将来的には園部まで結ぶ計画で建設が進められた。ところが篠山市の中心街をかすめて走るルート設定から、使用者は少なく、’72年3月1日を持って廃止となった。廃止後は篠山口−園部間でJRバスとして運行が続けられたが、JRバスの撤退から、篠山口から福住の区間は神姫バス→神姫グリーンバスとバス会社が変わり、福住−園部間では京都交通→京阪京都交通へと路線が引き継がれかろうじて?生きながらえている。
筆者は、篠山線運転当時のことは解りませんので、写真撮影時の様子から推察します。写真、背後には国道372号線が走っており、商店街等は見当たりません。手前の写真左側に写る道が駅前大通りと推察され、小さいながら商店、食堂、旅館などが並んでいる通りに繋がっている。さらに左側には(写真には写っていませんが)神姫バスの車庫があります。また、広く建物が切れている空間が広がっており、かつての国鉄駅の広い構内があったことが想像されます。
なお、篠山市の運営する、篠山インターネットTVでは「さよなら篠山線」(NHK放送によるもの?)が公開されており、当時の様子を伺い知る事ができます。
国鉄篠山線は篠山口駅からここ福住までの全長17.6kmのローカル線で、丹波地方のマンガン輸送を目的として戦時中の’44年10月に開業し、将来的には園部まで結ぶ計画で建設が進められた。ところが篠山市の中心街をかすめて走るルート設定から、使用者は少なく、’72年3月1日を持って廃止となった。廃止後は篠山口−園部間でJRバスとして運行が続けられたが、JRバスの撤退から、篠山口から福住の区間は神姫バス→神姫グリーンバスとバス会社が変わり、福住−園部間では京都交通→京阪京都交通へと路線が引き継がれかろうじて?生きながらえている。
筆者は、篠山線運転当時のことは解りませんので、写真撮影時の様子から推察します。写真、背後には国道372号線が走っており、商店街等は見当たりません。手前の写真左側に写る道が駅前大通りと推察され、小さいながら商店、食堂、旅館などが並んでいる通りに繋がっている。さらに左側には(写真には写っていませんが)神姫バスの車庫があります。また、広く建物が切れている空間が広がっており、かつての国鉄駅の広い構内があったことが想像されます。
なお、篠山市の運営する、篠山インターネットTVでは「さよなら篠山線」(NHK放送によるもの?)が公開されており、当時の様子を伺い知る事ができます。
終着駅シリーズ59:太秦天神川(’08年05月06日撮影)
京都市交通局東西線の終着駅こと太秦天神川です。京都地下鉄東西線は計画として嵐山までの延伸計画がありますが、ここから先の区間については積極的に延伸しようという雰囲気ではなく、当面(ずっと?)ここが終着駅として定着しそうです。
この駅の近くを走る、京福電鉄は新しく嵐電天神川駅をこの写真のすぐ近くに新しく設け乗換の便をはかっています。
将来的にはこの両者を接続するとか、いろんな計画があり得ますが、今は具体化の方向ではないようです。いまや京都市内に唯一路面電車として残る京福電鉄ですから、市側はなんらかの解決策を検討しているのではないかと思いますが、なにせ先立つものがいりますからね。
この駅の近くを走る、京福電鉄は新しく嵐電天神川駅をこの写真のすぐ近くに新しく設け乗換の便をはかっています。
将来的にはこの両者を接続するとか、いろんな計画があり得ますが、今は具体化の方向ではないようです。いまや京都市内に唯一路面電車として残る京福電鉄ですから、市側はなんらかの解決策を検討しているのではないかと思いますが、なにせ先立つものがいりますからね。
Saturday, August 14, 2010
Friday, August 13, 2010
Thursday, August 12, 2010
Tuesday, August 10, 2010
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