Monday, September 28, 2015

終着駅シリーズ254:鍛冶屋(’12年08月11日撮影)

 かつてのJR西日本鍛冶屋線の鍛冶屋です。
 この駅は1923年05月06日に播州鉄道の終着駅として開業しました。’90年04月01日には鍛冶屋線が廃止となり、当時の駅舎はキハ30とともに、新しく作られたロータリーの真ん中に取り残されて、モニュメントとなりました。ときたまかつての鍛冶屋線ルートを踏襲する転換バスが、このロータリーをぐるっと回って走り去っていく姿を見ることができます。

終着駅シリーズ253:西脇市(’12年08月11日撮影)

 かつてのJR西日本鍛冶屋線の始発駅の西脇市です。ここは鍛冶屋線が現役の時代には野村駅を名乗っていました。野村の鍛冶屋線の次の駅が西脇で西脇市の中心駅でした。現在ではその西脇には商業施設を兼ねたバスターミナルが建てられていて、大阪駅からの直通の高速バスのターミナルとなっています。
 この駅は1913年10月22日に滝駅と西脇駅の中間に設けられました。その後、加古川線の谷川方面が開通し鍛冶屋線の始発駅となります。’90年04月01日には鍛冶屋線が廃止となり、加古川線の途中駅となります。そんな加古川線も’04年12月には全線電化されてキハ○○ではなく、103系3500番代や125系電車が運転されています。

Saturday, September 26, 2015

終着駅シリーズ252:姫路(’12年08月13日撮影)

 かつての姫路市営モノレールの始発駅の姫路です。近年まで駅跡らしきものが残されていたので、いつでも撮影できると思っていたら、JR線の姫路付近の高架工事とそれに伴う再開発によっていつのまにか、上の写真の山陽電鉄の高架線から駅側の区間が跡形もなくなっていました。
 姫路市営モノレールは姫路大博覧会に合わせて建設されたが、その開幕には間に合わず’66年05年17日に開通します。その後、姫路市は何を考えたか、市内にモノレールを張り巡らせる計画を発表します。しかし、この既開業区間の営業成績が全く振るわず、’77年04月には早くも営業休止となり、’79年01月26日に正式に廃止となっています。
 下側の写真はその路線の唯一の途中駅の大将軍駅です。公営住宅とモノレール駅、そしてビジネスホテルとアーケード街の複合施設となっていましたが、既に取り壊しが決まり、公営住宅以外はもぬけの殻になっています。姫路市の計画ではここを分岐駅としてP型の環状線を建設する計画となっていました。にわかに本気とは信じがたいですね。

終着駅シリーズ251:別府港(’12年08月13日撮影)

 かつての別府鉄道野口線と土山線の終着駅の別府港です。
 1921年09月03日別府鉄道野口線の終着駅の別府港として開業します。のちに土山線が開業し乗換駅となり、’84年02月01日に廃止となり現在に至ります。
 それからかなりの時が流れていますが、現在はタクシー会社として存続している同社の本社が存在していました。同社は近年、加古川市内の路線バスの廃止コミュニティーバス化によって、この運輸事業を請け負っていて、バス停で時刻表を見ると別府鉄道とかかいてのを見ることができ不思議な気持ちになります(路線はかつての鉄道線とは全く関わりのない区間です)。
 そしてかつての広かった駅構内は、イトーヨーカドーなどが建てられていて有効活用されています。

Saturday, September 19, 2015

終着駅シリーズ250:志染(’12年08月11日撮影)

 神戸電鉄谷上線の途中駅の志染です。
 1936年12月28日三木電気鉄道の終着駅の広野ゴルフ場前として開業します。開業当時は非電化で気動車での運転だったとか。その後同線は粟生まで延長開業し粟生線を名乗るようになります。
 それから時は流れ、競合路線の整備により乗客が減る傾向にあり、累積赤字が看過できないレベルとなって真剣に廃止が議論されるようになりました。可能性が高い案とされているのは、この志染から粟生までの廃止です。しかしながら、この区間には代替交通がないので、本当にそうなった場合には、利用者にはかなりの不便を強いることになりそうです。
 さて、この駅ですが、実は別のことでも有名です。それはこの付近には歩行者が線路を渡る道路がないことから、駅構内を自由に横断することが出来る通行証が発行されています。ちなみに発券は券売機で料金は勿論無料です。

Friday, September 18, 2015

終着駅シリーズ249:谷上(’12年08月11日撮影)

 北神急行電鉄北神線の始発駅の谷上です。
 1928年11月28日神戸有馬電気鉄道の谷上駅として開業します。’88年04月02日には北神急行電鉄北神線が開業し始発駅となります。
 この開業によって、ここから三宮方向に到達時分が大きく改善していますが、その分神鉄の鈴蘭台〜湊川方面の本線系統の乗客が少なくなっていることは間違いありません。

Friday, September 11, 2015

終着駅シリーズ248:松川(’15年08月10日撮影)

 かつての川俣線の始発駅の松川です。
 1887年12月15日日本鉄道の途中駅として開業します。1926年03月01日には川俣線(松川〜岩代川俣)が開業し始発駅となりますが、その川俣線は’72年05月14日には廃止となってしまいます。川俣線は廃止後国鉄バスへの転換後→JRバス→カネハチタクシーによる自治体の自主運行バスに移管されています。その本数は平日が5往復(松川発:720,753,1615,1749,1939)、土休日に至ってはわずかに3往復(753,1749,1939)になっています。
 駅舎は’15年03月20日に建替工事が完了し、写真のような立派なものになっています。

終着駅シリーズ247:御茶ノ水(’15年08月10日撮影)

 総武本線(JR東日本)の始発駅の御茶ノ水です。
 駅は1904年12月31日甲武鉄道の都心乗り入れ路線として飯田町からの延長開業にて開設されます。その後中央本線は東京へ、総武本線が接続し、東京メトロが接続して現在に至ります(適当〜w)。
 ご存知とは思いますが、地名(住所表記)にはお茶の水という場所はないのです。しかし、一般的な広域名称として、道路標識などにはお茶の水(”の”がひらがな)の名称が用いられ、駅名標記には御茶ノ水(御が漢字、ノがカタカナ)の表記が用いられています。でも?駅前に架かる橋の名前は御茶ノ水橋です。
 さて、筆者は現在文京区に在住ですが、この文京区は都心6区で唯一JR線の駅がないことで有名です。そしてこの御茶ノ水駅はJR線の駅の所在地が千代田区、東京メトロ(丸ノ内線)側が文京区の際どい駅になっています。そしてその両者の間を流れるのが神田川です、ここのJR->地下鉄の乗り換えが一旦地上にでてから橋を渡ることになるので、意外と面倒で時間もかかるので、ついつい敬遠して別のルートを探してしまうことになります。

Saturday, September 05, 2015

終着駅シリーズ246:緑(’12年02月26日撮影)

 釧網本線(JR北海道)の緑です。
 ご承知のように?網走側から電車に乗ると、午前中の11時28分発快速しれとこ号から、冬季は16時発ちょうどの釧路行き、それ以外の期間はなんと18時10分まで、釧路方面の電車が全くない時間があり、事実上の昼間の終着駅となっています。
 駅は’31年09月20日の釧網本線全通の時に上札鶴駅として開業します。網走側の隣駅札弦(札鶴)は’29年11月14日に網走本線の終着駅として開業していますので、この項で取り上げるのならば、本来はそちらの駅のはずですが、このさい細かいことは気にしない(笑)ことにします。
 さて、筆者は昼間のこの電車のこない時間に、ここに降り立ったら何かあるのだろうか?と無計画にここで下車したことがあります。しかしここからは接続するバスなどはあるはずもなく、ただ無為に時間を過ごしただけでした。結局のところ時間をもて余し、釧路方面に行く予定だったのに、一旦網走まで戻ることになった。なつかしい?はずかしい?思い出の駅です。
 そして月日は流れ、まさか、この駅にスキー旅行のために、再び訪れることになろうとは…

Wednesday, September 02, 2015

終着駅シリーズ245:網走(’12年02月26日撮影)

 JR北海道の石北本線と釧網本線の終着駅の網走です。国鉄時代の’87年に廃止になってしまいましたが、かつての湧網線も当駅が終着駅でした。
 この駅は鉄道院によって、1912年10月05日に網走本線(池田〜網走〜札鶴)の終着駅として開業します。開業当時は現在より東よりの網走市新町3丁目付近にあったようです(現在ではその地に石碑が建っています)。旧駅は終端式の駅であったため直通運転に支障がありそれを解消するべく、現在地に移転しています。
 写真は夜の網走駅ですが、現在では少なくなってきた国鉄時代の駅舎です。筆者はこの夜の網走駅を見ると思い出すのですよ。昔はここから急行大雪に乗って良く夜を明かしたな〜と。昔存在した周遊券というJR北海道線内を乗り放題となる切符を使って。指定席を取ると急行料金も取られるので、改札前に出来た自由席争奪戦に参加する長蛇の列に並んだな〜。