Saturday, February 28, 2015

アサヒ自然観エアトップ山頂

リフトは日ケ

今日は全リフト運転のようです

カレーにした

550円とスキー場では安め

新庄市民山頂

施設が全部新しい

中間駅あり、日ケ

Saturday, February 21, 2015

ばんだいばんだい2山麓

まだ時間前なのに終わりだと言われた。

書いてある時間は守ってほしいな〜

猫魔雄国1A山頂

リフトは東京索道

高速トリフルとか珍しい

裏磐梯2山頂

もう春だね、暑いや

Sunday, February 15, 2015

二本松塩沢2山頂

リフトは日ケの古いの

そしてラーメン、

今日はここだけの予定

では。

Saturday, February 14, 2015

終着駅シリーズ216:石橋(’11年08月19日撮影)

 阪急電鉄の箕面線の始発駅の石橋駅です。
 この駅は1910年03月10日に箕面有馬電気鉄道の宝塚線、箕面線の石橋駅として開業しています。阪急(箕面有馬電気鉄道)の開業当時から存在する、阪急最古参の駅のひとつだとか。
 駅前は阪急らしからぬ雑然さです。昔話ですが、筆者は梅田から急行に乗って十三停車後この駅まで連れてこられ(当時の急行はここまで無停車だった)、切符に御乗返還のスタンプを押されて、目的の駅まで戻ったことがあります。当時はこの辺は随分と田舎だったのかな?他に乗客があまりいなかったような気がします(時間帯か??)。
 

終着駅シリーズ215:宝塚(’11年08月19日撮影)

 阪急電鉄の宝塚線と今津線の終着駅の(阪急)宝塚駅です。
 この駅は1910年03月10日に箕面有馬電気鉄道の宝塚駅として開業します。その後、’21年には今津線が乗入れ現在の形となります。さらに有馬温泉方面への延伸計画がありましたが、残念ながらそれは頓挫しています。但しこの駅より三田方面は阪急バスのサービスエリアとなり有馬温泉への路線バスもここから発着しています。路線バスと言えば忘れてはならないのが、この駅から発着する阪神バスの路線。これは阪神尼宝線のなれの果てでかつては路線買収のされた専用道路を走行していましたが、沿線の都市化とともに、市街地に飲み込まれ一般道路化しています。この線が完成していれば、JRと阪急の間に駅が作られる計画だったといい、いったいどんなことになっていたものか?と思います。
 駅舎は阪急の牙城の威厳を示す巨大なものですが、JRの路線改良が進み対大阪への輸送量ではすでに逆転を許しています。阪急の奮起を期待したいですね。
 

あきらめ

郡山は晴れてきましたが、電車はだめのようです。


使えね ポイ(-.-)ノ⌒○

帰宅後追記:郡山駅前から出る会津若松行きの高速バス乗り場には長蛇の列ができていました(このバスは猪苗代には止まらないので利用は出来ず)。最終的にはJRの改札口にもこの高速バス(福島交通?)の時刻表が貼り出されましたw。
 なんで高速バスが定時運行で磐越西線は運休なのでしょう?JRはほんと使えない交通機関に成り下がったな〜。やる気がないのなら廃業すればいいのに。

郡山

今日は郡山で足止め

どうしよう

Wednesday, February 11, 2015

猪苗代

さて、帰ろう

 駅にもこんな雪があり、今朝は磐越西線への車内での乗り換え案内を行わないなどの、電車の遅れが見られましたが、いまは平常通り動いています。しかし雪多いね、猪苗代駅でこんなに雪があるのは初めてみたな。

猪苗代 はやま4 山頂


 リフトは日ケと太平索道それにWso(staedeli-lift AG)のエンブレムの付いたものがありました。
 Wsoのものには日ケのシールも貼ってありました。
 本年のガイドに載る8本のリフトの全てが稼働中で、

  太平索道:はやま2、はやま4パノラマ
  Wso(日ケ):はやま1クワッド
  日ケ:はやま3、ミネロ1〜4

 休止及び廃止のリフトは筆者のみたものだけで7本あり、
 名前の分かったものは、

  はやま3、ミネロ2B、他5本

 でした。
 大雪が降ったあとで、天気が良く雪質は最高でした。

 行きのシャトルバスがスキー場までの坂が登れず、
 立ち往生してしまい、迂回路を通ってミネロまで(その後はやまへ)運行されました。

Saturday, February 07, 2015

終着駅シリーズ214:琴電志度(’11年08月17日撮影)

 高松琴平電気鉄道の志度線の終着駅の琴電志度駅です。
 この駅は1911年04月22日に東讃電気鉄道の志度駅として開業します。その後、志度線は四国水力電気→讃岐電鉄→高松琴平電気鉄道へと引き継がれ現在の路線となります。’45年01月26日には八栗駅と当駅間が不要不急の路線として廃止の憂き目に会いますが、戦後には見事に復活を果たしています。
 駅舎は現在では見ることの少なくなった、木造の駅舎です。よくわかりませんが、’31年05月に志度西口駅より50mの延伸開業をした時に建てられたものなのでしょうか?(未確認)独特の色に塗られた味わい深い駅になっています。ちょっと手狭な感じはぬぐえませんがね。
 

終着駅シリーズ213:瓦町(’11年08月17日撮影)

 高松琴平電気鉄道の長尾線と志度線の始発駅の瓦町駅です。
 この駅は1915年04月22日に東讃電気鉄道(現在の志度線)の途中駅として開業します(当時はここを経由して栗林公園の北口を通って高松市内線に乗り入れ高松駅前と築港まで走っていた)。その後’43年11月01日には会社合併によってほぼ現在の形態となります。
 この駅は’96年12月21日には現在の駅ビルが完成しています。その後’97年にはそこにコトデンそごうが入店します。しかし、そごうの時代は長く続かず、そごうデパートの経営破綻により店舗整理が進み、’01年04月にはこのコトデンそごうも閉店となります。その後には高松天満屋が入店していますが、これも’14年03月いっぱいで不採算の為に閉店となっています。そして現在はそこに入店していた宮脇書店、スターバックスなどが直接出店する形で営業を続けているようです。立派な駅なのに悲運なことです。
 この立派な駅ビルも完成後もう20年も経つのかと、時間の流れを感じてしまいますね。