Tuesday, May 30, 2017

終着駅シリーズ306:石狩沼田(’12年12月29日撮影)

 JR北海道は留萌本線の途中駅の石狩沼田です。
 1910年11月23日に鉄道院の留萠線の途中駅として開業します。’31年10月10日には当駅を起点として札沼北線が中徳富まで開業します。その後’72年06月19日には札沼線のここから新十津川までの区間が廃止となり。終着駅の任をおります。

Saturday, May 27, 2017

終着駅シリーズ305:北海道医療大学(’12年12月23日撮影)

 JR北海道は札沼線の途中駅の北海道医療大学です。
 当駅は’81年12月01日に札沼線の大学前仮乗降場として開業。’95年には北海道医療大学に改称と共に折り返し線を新設。その後駅No.(G14)が設定され現在に至ります。
 この駅No.札沼線ではこの駅以北の設定がありません。ということで駅No.による終着駅としてこのコーナーで取り上げました。それと交通系ICカードが利用できる日本最北の駅だそうです(路線バスを除く)。

Monday, May 22, 2017

終着駅シリーズ304:新十津川(’12年12月22,23日撮影)

 JR北海道は札沼線の終着駅の新十津川(しんとつかわ)です。
 当駅は’31年10月10日に札沼北線の終着駅の中徳富(なかとっぷ)として開業します。3年後の’34年10月10日には当駅〜浦臼間が延伸開業、翌年の’35年10月03日には浦臼〜石狩当別間が開業し札沼線は全通となります。しかしその後’43年10月01日には第二次大戦の激化に伴う不要不急線として石狩月形〜石狩追分間が営業休止になり当駅も営業休止となります。
 戦後の’53年11月03日には営業が再開され、当駅の名称は新十津川と改められます。その後、国鉄の赤字線(73線区)整理の対象となり’72年06月19日に当駅と石狩沼田間が廃止となり以来終着駅となっています。
 しかしJR化後の現在、この駅を含む区間の営業成績が思わしくなく、現在は廃止の打診が各行政自治体に向けて行われているようです。’16年03月26日には浦臼〜新十津川間の運行が1日1往復となり路線バスで言う所の免許維持路線の様相になっています。
 JR北海道は駅ナンバリングを’07年に北海道の全域にわたって実施していますが、これに漏れた区間が存在しています。更新日現在では 留萌本線、根室本線(武佐〜根室)、日高本線、室蘭本線(遠浅〜志文)、札沼線(石狩金沢〜新十津川)がこれにあたり、利用実態が怪しい線区と見ることができそうです。

 さて、筆者はこの駅に(’12年12月)22日と23日の両日にわたって立ち寄りました。22日立ち寄り撮影しようと思いましたが、駅付近には街路灯もなく、それどころか車で進入路を発見するのに一苦労でした。でとても暗かったので駅の真ん前に車を停めライトをあてて撮影。そのあと時刻表を見るとこの真っ暗な中に到着する便が設定されており(3往復時代)びっくりしました。で結局のところ翌日の撮り直しとなりました。

 ところでこの駅には駅ノートが設置されていますが、この駅に隣接する空知総合病院がその内容をネットに公開してくださっています。なかなか面白いですね(こちらです。

Sunday, May 14, 2017

終着駅シリーズ303:新栃木(’17年04月21日撮影)

 東武宇都宮線の始発駅の新栃木です。
 当駅は’29年04月01日に東武日光線の途中駅として開業します。’31年08月11日に東武宇都宮線が開業して始発駅となります。東武宇都宮線は当駅が起点ですが、ほとんどの電車がJR線との乗り換え駅である南隣の栃木駅まで乗入れしています。
 栃木市の市街地は、この新栃木駅と栃木駅との間に広がっています。そのためどちらの駅で降りてもなんだか、あまり栄えてないな?という印象を受けます。また、この駅の近くにはヤオハンがあります。

Wednesday, May 03, 2017

終着駅シリーズ302:五所川原(’12年11月11日撮影)

 JR東日本五能線の途中駅の五所川原です。
 1918年09月25日に陸奥鉄道の終着駅として開業します。その後の1924年にはこの路線に接続する形で(国鉄としては連絡線のない状態)で五所川原線が陸奥森田まで開業します。1927年には前述の陸奥鉄道を国鉄が買収し五所川原線となります。その後の1936年には計画線が全通し、路線名が五能線となります。
 ところで、この五能線ちょっと変わった名前です。この路線は東能代と川部を結んでいるので、普通に命名すれば川東線。あるいは川部の行政区画である光田寺村や現在の田舎館村を冠した田東線が有力と思うのですが、なぜかそうなっていません。能代側は能代の能からとれば田能線となって現在の名称に近づきます。しかし路線名称にこの途中駅の五所川原を冠したのはどういうことだろう?
 この五能線という名前、実は2つの路線名称の合体なのです。先ほど述べた五所川原線と、能代側で運転されていた能代〜東能代間の能代線が繋がったので五能線ということらしいです。合点が行きますね。