Saturday, October 31, 2015

終着駅シリーズ258:竜田(’15年08月29日撮影)

 JR東日本常磐線の竜田です。この区間の常磐線は1898年08月23日に開業しますが、その時にはここには駅はありませんでした。駅としては1909年03月25日に鉄道院の貨物駅として開業しています。
 そして月日は流れ’11年の東日本大震災の影響を受け、常磐線は津波、原発事故の影響によってそれから4年以上が経過した現在でも至るところが寸断されたままになっています。
 この竜田駅はそんな寸断された、常磐線の最も南側の終着駅です。つまり、上野(日暮里)から常磐線の電車に乗って北上するとここ竜田で終点として例外なく下車を促されます。ここから原ノ町までの区間は津波の影響で線路が流され、なおかつ原発事故による影響が重なって今だ放射線量が高く復旧もままならない状態になっています。
 この不通区間にも代行バスが運転されています。その運転区間は竜田〜原ノ町で帰還困難区域を走るので途中の駅には停まらず無停車で走ります。バス停には途中区間の放射線量は0.31〜14.7μSv/h(平均値は3.5μSv/h)で、この区間の1回の乗車で1.2μSvの被曝線量を受けますとのとっても恐ろしい言葉が並んでいます。困ったものです。
 駅は楢葉町に位置していて、この写真の撮影時には宿泊のできない避難指示解除準備区域に指定されていました。宿泊もできない危険な区域に東京から電車で行ける状態というのもどうか?と思っていましたが。同年09月05日にはこの指示が解除され復旧に向けて歩みだしています。

Saturday, October 24, 2015

終着駅シリーズ257:浜吉田(’15年08月30日撮影)

 JR東日本常磐線の浜吉田です。この駅は1897年11月10日に日本鉄道の途中駅として開業しています。
 そして月日は流れ’11年の東日本大震災の影響を受け、常磐線は津波、原発事故の影響によってそれから4年以上が経過した現在でも至るところが寸断されたままになっています。
 この浜吉田駅はそんな寸断された、常磐線の最も北側の終着駅です。つまり、仙台(岩沼)から常磐線の電車に乗って南下するとここ浜吉田で終点として下車を余儀なくされます。ここから相馬までの区間は津波で線路が流されていて不通となっています。そして急ピッチで新しい高架線の線路が建設されていますが、その開通は予定では’17年春とのことで、まだ当分先のようです。この不通区間には現在代行バスが運転されていますが、その運転区間は亘理〜相馬でこの浜吉田駅には入らないので、電車に乗ってこの駅で降りてしまうと相馬方面への交通機関は何もないということになります。
 駅は海岸に比較的近いところにあり、なんでこの駅は津波の影響を受けなかったのだろう?と思うほど付近には流された跡が至るところに見られます。

Sunday, October 11, 2015

終着駅シリーズ256:新神戸(’12年08月11日撮影)

 かつての神戸市交通局山手線の終着駅の新神戸です。北神急行電鉄北神線の始発駅でもあります。
 この駅は1985年06月18日に開業しています。北神線は’88年04月に谷上まで開通しています。新神戸といえば新幹線との接続駅ですが、歩いてすぐのところには新神戸ロープウェイの北野一丁目駅もあって隠れた?乗り換え駅となっていますね。

Sunday, October 04, 2015

終着駅シリーズ255:粟生(’12年08月11日撮影)

 かつてのJR西日本加古川線の粟生です。神戸電鉄粟生線の終着駅であり、北条鉄道の始発駅でもあります。
 この駅は1913年05月06日に播州鉄道の途中駅として開業しました。1915年3月には北条線が開業し分岐駅となり、さらに’52年04月には神戸電鉄が当駅まで乗り入れています。
 写真の駅舎は’09年10月に建て替えられたものであるとか。近年どこに行っても見た事のない駅舎が増えてきて、どこだここは?と思う事が多くなりましたね。大きな駅舎ですがコミュニティーレストランのAo(粟生)―mercato(メルカート)野菜ごはんを併設しています。