Saturday, November 30, 2013

ルスツ イゾラゴンドラ山頂

実にいいスキー日和

今日はイゾラゴンドラと第5だけが動いています。

コースはリフトぞいの500mだけがオープンです

滑り初め

Saturday, November 23, 2013

終着駅シリーズ178:西九条(’13年11月10日撮影)

 JR西日本の桜島線の始発駅の西九条です。また、阪神西大阪線の終着駅でもありました、こちらは阪神なんば線として、当駅から大阪難波までの区間が延長開業したことによって、終着駅ではなくなりました。
 1898年04月05日西成鉄道(大阪−安治川口間)の路線として開業しますが、開業当初はこの駅はありませんでした。駅が出来たのは同年10月01日のことで当初より西九条を名乗っています。
 その後1905年04月01日には安治川口−天保山間の延長開業。1909年10月12日には国有化され西成線(大阪−天保山間)となります。さらに1910年04月15日には路線が300メートル延長され現在の桜島駅がこの線の終点となります。その後さらに路線は貨物支線の大阪北港駅まで延長される(現在は廃止)。
 そして’61年04月25日には、現在の形の大阪環状線が全線開通します。この時に旧西成線は、ここ西九条と桜島の間を桜島線として分離され現在の路線形態となります。

終着駅シリーズ177:目黒(’13年11月17日撮影)

 東急目黒線の始発駅の目黒です。目黒線は東京地下鉄7号線南北線と東京都交通局6号線三田線との相互乗入れが行われています。この直通運転の開始に合わせて駅は地下化されています。
 1923年03月11日に目黒線(目黒−丸子(現在の沼部))として開業します。当初は現在の東横線の渋谷への区間はまだ未完成で、目黒−神奈川間で直通運転が行われる。東急の都心側のターミナル駅でした。
 そして月日が流れふたたび、’01年03月28日からは地下鉄への相互直通運転が行われるようになって、ターミナルとしての機能が復活??しました?(本当か?)。

Wednesday, November 20, 2013

今日のひょうちゃん

シュウマイおいしかった

Saturday, November 16, 2013

終着駅シリーズ176:燕(’10年09月05日撮影)

 かつての新潟交通電車線の終着駅の燕です。
 ’22年04月20日に越後鉄道(現在の弥彦線)の西吉田(現在の吉田)−燕間の開通によって開業します。その後の’25年04月10日には弥彦線の燕−一ノ木戸(現在の東三条)間が延伸されています。
 新潟交通電車線は’33年08月15日に全線開業して、ここ燕が終着駅となりました。しかし、’93年08月01日にはその役割を終え、燕−月潟間の廃止で、この地からの新潟交通の撤退となりました。
 現在はかつての新潟交通のルートをなぞる路線バス(俗にいう代替バス)は、月潟までの1日数本しかなくなり(新潟市内には高速バスが運行されている)非常に移動がしにくいルートに成り下がっています。
 新潟交通の駅舎があった場所には、どういうわけなのか(写真の)交番が建っています。まるでそこに昔からあったかのように。

終着駅シリーズ175:敦賀港ORS(’10年08月14日撮影)

 1882年03月10日に北陸本線敦賀港線の終着駅の金ヶ崎として開業しました(旅客営業)。
 戦前にはウラジオストク航路への連絡駅として賑わいましたが、’40年ごろの第二次世界大戦の勃発の影響によって旅客営業は廃止となりました。
 以降、貨物駅としての営業が続けられたが、民営化後の’09年03月31日を持って貨物線としての営業も終了となっています。その後はJR貨物のORS(オフレールステーション)としての営業が続けられ、貨物の集配と南福井までのトラック便の発着駅となっています。
 かつての連絡航路があったことの敦賀港駅舎が復元されていて、資料館として活用され、観光客を集めています。

Saturday, November 02, 2013

終着駅シリーズ174:白山前(’10年09月05日撮影)

 新潟交通電車線の始発駅の白山前です。
 1933年07月28日に同鉄道の東関屋からの延長開業に伴って県庁前駅として開業します。その後県庁の移転にともなって白山前に改称され、’92年03月20日に運行休止となり、同03月31日に廃止となりました。
 写真にある、若干広い歩道に見える敷地がかつてその駅舎があった場所で、駅という概念で考えると狭く本当にここか?と見まごうような場所です。写真左側には案内板が写っていますが、その昔ここに駅があった旨の説明がなされています。また、正面にある建物は新潟市役所で、かつての新潟県庁の跡地に、旧市役所が手狭になったことから、移転してきています。’89年のことのようです。
 さて、筆者はかつて、この路面を走る電車をどうしも見たくて、廃止直前に訪問したことがあります。しかし、既にその時には路面を走る電車線を休止して代替バスになっていました(残念)。これは、上記の3月20日から31日までの間ということで、この駅舎から出発する代替バスに乗車しています。当時はネットなどなかったので早く休止するという情報が伝わってなかったのですよね。
 そして、駅の周辺の様子は、その当時の記憶が若干あるのですが、全く変わってしまって何もわかりませんでした。

終着駅シリーズ173:新潟(’10年09月05日撮影)

 JR東日本の信越本線、越後線と上越新幹線の終着駅であり、白新線の始発駅です。ウィキによれば3方面以上の路線が発着するJRグループの駅としては、旭川、盛岡、高崎、東京とこの新潟駅だけだそうです。
 写真は昔からある側の出入り口で、南口が出来た際に万代口との名称が付けられたとのこと。ここから万代橋までの区間は新潟随一の繁華街になります。
 新潟交通が白山前から万代橋を通って、ここまでの乗り入れが計画されていて、その区間の橋は電車荷重に耐えられるように補強がされていたとか。
 そんな新潟市も’05年の広域合併によって本州の日本海側唯一の政令指定都市となっています。今後ますます発展するかもしれませんね(市域広いけどね)。