Sunday, February 23, 2014

津黒高原山頂

蒜山から移動しました

さて適当に滑って帰ります

蒜山ベアバレー山頂

物凄いリフト待ち、早めに退散しようと思う

上蒜山山頂

こんな豪雪地帯で今週限りなんてもったいない

Saturday, February 22, 2014

大山鏡ヶ成山頂

先々週のリベンジができました

想像以上に小さいスキー場で、豪雪地帯にもったいない感じでした

休止側のリフトに搬器が2つだけついていて何かに使っている感じでした。

とりあえず今日はここまでとします。アクセス道路がシャーベット状で、めちゃめちゃ滑るので慎重に走ります。

いぶきの里3山頂

花見山の裏側

初級コース主体

花見山3山頂

もう春だね

Saturday, February 15, 2014

また新入りが…

 近年はアベノミクスの影響かカメラの名前もインフレのようです。

 1、70、200…

 さて、私の所の一眼レフ、使い方が荒いからかオールドカメラには過酷な環境であるからか、特に寒冷地で動作しないものや、往ってしまうものが増えてきて、フイルムでの通常撮影に支障をきたすようになってきました。そこで、知人の協力を得ながら、少しカメラを調達することにしました。
 1:Konica Acom1(右側)コニカのARマウントの機械です。筆者の持っているFS-1はワインダー内蔵機ですが、そのワインダーのトラブルがとても多く、おかしくなる度に修理に出していました(いまだに修理を受け付けてくれるのは感涙ものですが)、流石にトラブルが多過ぎて、修理も限界かな?と思うようになったので、一台調達しました。
 このカメラはシャッター速度優先AEを持つ、機械式シャッター機で電池がなくても動く不思議な機械です。普及をめざして安価に販売されたため、見た目が安っぽく、コレクション向きでないため非常に安価に売られていました。
 70:Nikon F70(左側)ニコンの機械は丈夫ですが、筆者の持つFE2は油の関係からか巻き戻しクランクが戻らなくなるトラブルが続出するようになり、撮影最中に格闘を余儀なくされるようになったので、新しい機械として、ある方の協力を得て導入されました。
 カメラはワインダーとAF機構内蔵、P,S,A,Mの昔のカメラなら夢のような全ての露出方法を実現するものです。しかしながら筆者のところにはこのカメラに合うAFレンズがないので、マニュアルフォーカスでしか使われないかわいそうな使い方が既に確定?しています。
 200:Nikon D200(中央)こちらはデジタル一眼レフです。少し古い機械で背面液晶は撮影結果の確認だけ(とカメラ制御)に使われるもので、近年のデジタル機には当たり前のようにある、ライブビューの機構のない機械です。
 ちなみにAcom1は’76年11月、F70は’94年11月、そしてD200は’05年12月の発売で、それぞれ満37歳、19歳、8歳です。人間でいうと中年w、大学生1年、そして小学2年です。そう考えるとちょっと楽しいですね。
 
 さて、この子たちはどんな絵を作ってくれますかね。

終着駅シリーズ189:南巽(’10年08月12日撮影)

 大阪市営地下鉄の千日前線の終着駅の南巽です。
 実は筆者はこの項を書くまで気がついてなかったのですが、この標記は正しくありません。正確にはこの字は2文字目がUnicodeの2F884になります。しかしこれは一般的なパソコンはブラウザなどでは表示されず実用上支障があるようで、実際には巽というJISコードの4327が使われることが多いようです。また、所在地の住所標記は巽東でこちらはこのJIS4327の字が正式なものです。
 路線は近鉄の弥刀方面への延伸計画があるようですが、大阪市外の路線となることから計画は進んでいません。大阪市を出てしまうと急に市営バスも地下鉄も守備範囲外となってしまうのは、もう少しなんとかならないのか?と思うのですが、某市長は交通機関は基本的に民営化の方針のようで、このような問題意識は持ち合わせていないものと思われます。
 さて写真はその駅舎というか出口です。終点も地下駅なのでちゃんとした駅舎はありません。それにしても写真は青かぶりが酷い(というかアンダー)>だめだめですな。
 

Tuesday, February 11, 2014

終着駅シリーズ188:鳥取(’10年08月13日撮影)

 JR西日本の因美線の始発駅の鳥取です。鳥取県の代表駅でもあります。山陰本線ではまだ自動改札は少なくこの駅も有人改札でした(訪問時)。
 同駅は1907年04月28日官設鉄道の終着駅鳥取仮停車場の開業に始まり、翌年04月05日に八千代川を渡った同地に移転し鳥取駅となります。一方の因美線は1919年12月20日に用瀬駅まで開業し、同駅が始発駅となります。
 因美線は1932年07月01日に全線が開通し、陰陽連絡の亜幹線としての役割を与えられるようになります。そして時は流れ智頭急行の開通や高速バス等の発達によって区間によっては運転本数が少なかったりしています。
 概してJR各社は例えば西日本の社長の発言”山間部のバス代替も選択肢”と述べるなど、ローカル線運輸に対してやる気がなく、衰退するに任せている姿勢がとっても気になるところです(ここに書く事でもないか)。

Saturday, February 08, 2014

早いけどホテル着

もらった新聞の今日の1面

大山PA

不思議なくらい晴れています。

今日は終了

大山鏡ヶ成

猛吹雪で到達出来ず、撤退

追記(140217):写真左側の建物は休暇村奥大山です。スキー場このすぐ先の筈ですが、強風のためこの先の道路が全く見えず完全なホワイトアウトになっていました。最徐行で侵入したり何回かトライしてみましたが全く無駄でした。除雪されていない道路に突っ込んでしまうとここから帰れなくなるので一旦あきらめ。
 この手前にある休暇村の駐車場に一旦入れ、歩きで確認しようとしますが、この駐車場の進入路がすでに積雪で車の走行があやしくなっていて、駐車場に長居すると明日まで車が出せなくなるかもしれないと思い。また、ここまでの進入路も先程係の方が懸命に除雪をしているのを見ていますが、距離のある1本山道のため寸断されてもかなわないので、大事を取って撤退することにしました。

奥大山2山頂

吹雪いてきたぞ

大山ますみず高原2山頂

大雪か?

羽田

雪だねぇ

Wednesday, February 05, 2014

終着駅シリーズ187:会津川口(’11年02月12日撮影)

 JR東日本の只見線の途中駅の会津川口です。現在は’11年07月30日に発生した新潟・福島豪雨の影響を受けて、掲載日現在の本日もここ(会津川口)から只見間でバス代行輸送となっています。ひょっとするとひょっとするのかもしれません。あまり想像したくはないですが。
 ネット掲載の地形図(電子国土)では航空写真に現れないということなのか、既に一部区間で路線の標記が消されてしまっています。
 この駅は’56年03月20日に会津線の支線として当駅まで開業します。ここから只見側の路線は電源開発専用鉄道として敷設されます。この施設を利用して’63年08月20日に国鉄の只見線として開通することになります。
 そして時は流れ、またここから只見側の路線が長期に渡って復旧されずにバス代行輸送になってしまっています。時代はローカル線に厳しい折、JR線の中にもまだ経営的に成り立たない路線があるとされており、余談を許さない状況であるようです(只見線に限らず)。
 しかし、りっぱな駅ですね。