Sunday, July 23, 2017

終着駅シリーズ311:留萌(’12年12月29日撮影)

Rumoi station
Rumoi station
 JR北海道は留萌本線の留萌です。1910年11月23日に鉄道院の留萠線の終着駅として開業しています。その後の1921年には同線は増毛まで延長されます。さらにこの駅を起点として1927年には羽幌線が部分開通し、1934年には留萠鉄道臨港線が仮古丹浜まで、1941年には天塩炭鉱鉄道が逹布まで開通しています。しかし1987年03月30日には羽幌線が、2016年12月05日には留萌本線の留萠〜増毛間がそれぞれ廃止となり、ここが再び終着駅となります。
 深川・留萌自動車道の全通が目前になってことに引き換え、留萌本線の廃れ具合が半端なく、JRとしての廃止方針が沿線自治体に伝えられている状態となっていて、正直なところいつ廃止になっても不思議のないところまで来ていると言えるのでしょう。留萌は留萌支庁改め留萌振興局の振興局・地方事務所所在地となっています。’17年現在この所在地に鉄道がない都市は檜山振興局の江差町だけになっています。これに留萌が加わるのは自治体としては避けたいところでしょう。

Sunday, June 25, 2017

終着駅シリーズ310:幌加内(’12年12月28日撮影)

Horokanai station
Horokanai station, Horokanai BT
Horokanai station, Horokanai BT
 かつてのJR北海道は深名線の幌加内です。1929年11月08日に鉄道省の雨龍線の終着駅として開業しています。その後1931年09月15日には添牛内まで延長され途中駅となります。その後路線名は幌加内線→深名線となりJR北海道に経営が引き継がれ、’95年09月04日に廃止となります。
 廃止後の駅舎はバスターミナルとして活用されていましたが、’00年03月19日の火災により焼失してしまいます。そしてバスターミナルは幌加内交流プラザへと移転し、かつての駅前には簡単な石碑とマニュメントが作られました(冬場は雪に埋もれて見えませんが草)。その幌加内交流プラザには、2階に深名線資料室が設けられています。
 筆者訪問時には資料室の電気がついていなかったので、係員氏にいうと電気をつけてくれました。写真は3枚ありますが、1枚目がかつての駅跡で、2枚目が幌加内交流プラザ、そして3枚目が深名線資料室です。

Sunday, June 18, 2017

終着駅シリーズ309:岩槻(’17年03月28日撮影)

Iwatsuki station
 東武野田線(アーバンパークライン)の途中駅の岩槻です。
 1929年11月17日に北総鉄道の途中駅の岩槻町として開業します。’39年には岩槻駅に改称し。’44年には会社合併により東武鉄道の駅となりますが、路線形態はほぼ開通時のまま現在に至ります。’16年03月26日には急行運転が始まり大宮〜春日部間の急行運転区間の唯一の停車駅に、さらに’17年04月21日には特急の定期の特急列車”アーバンパークライナー”の運転が始まり下り大宮方面のみの停車駅となります。
 岩槻駅前は’96年頃に駅前の大規模再開発が行われ、それまでの駅前の風景を一新している(筆者も?年ぶりにこの駅に下りたところ随分な変わりように驚かされた)。’04年には旧岩槻市とさいたま市の合併があり、当駅前の再開発ビルに岩槻区役所が入っている。
 埼玉高速鉄道の埼玉サッカースタジアム線には延伸計画があり、現在の終点の浦和美園からここ岩槻を通ってJR東北本線(宇都宮線)の蓮田までをつなぐというもの。そのうちの先行開業区間としてここまでの建設が有力となってきている。浦和美園駅自体はさいたま市緑区に位置しているが埼玉サッカースタジアムの北側からすぐに岩槻区となっており、区としては特にこの延伸に力が入っているようである。計画には途中駅として、埼玉サッカースタジアム(臨時駅)駅、中間駅(目白大学付近)が設けられ、終点の岩槻駅は現在の東武駅の東側(ちょうどこの写真撮影の位置ぐらい)が有力となっています。さて実現しますかどうか?

Sunday, June 11, 2017

終着駅シリーズ308:浦和美園(’17年03月28日撮影)

Urawamisono station
 埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線の終着駅の浦和美園です。
 ’01年03月28日に開業。開業当初の駅前は、ほぼ更地に近い状態で、’02年のFIFAワールドカップの行われた埼玉スタジアムのためだけに作られた状態になっていました。しかし地下鉄直結という便の良さからか、徐々に開発が進み’06年のイオンモール浦和美園の開業によりそれは加速し一気に賑やかになって来ています。
 この路線には延伸の計画があり、東武野田線(アーバンパークライン)の岩槻を通ってJR東北本線(宇都宮線)の蓮田までをつなぐというものである。現在のところ検討委員会?によるB/C分析の結果が0.9とわずかに1を超えていないことからすぐに着工ということにはならないようである。しかもこの延伸が実現した時にはこの線の急行運転が計画されていて、鳩ヶ谷かここ浦和美園に退避線を作るかもしれない(らしい)。そんな延伸計画が進展しないなか、とりあえず’20年のオリンピックまでに埼玉スタジアム(臨時駅)までを延ばしてどうかという話が持ち上がってきている。
 さて、この駅には埼玉スタジアムでのイベント時だけに使用される3番線(通常使用は1と2番線)がある。この3番線は通常使用の改札内につながってなく、写真の正面側の一階のシャッターをあげると、自動改札があり、そのまま階段を昇り降りすることなく直接ホームにアクセスできる構造となっている。
 ’17年5月にはネーミングライツによるサブネームが付けられ、その名前が、”浦和美園とともに歩む 埼玉りそな銀行 最寄駅(今秋オープン予定)”となった。近年は、色々なナーミングライツが増えてきていますが、銀行の最寄駅というアピールもなんだかな?と思うが、(今秋オープン予定)というサブネームはおそらく全国唯一であろう。銀行がオープンすると(今秋オープン予定)が消される予定となっている。せっかくだからオープンも延伸して謎のサブネームにしてしまうともっと面白いと思う。
 

白山神社




今日は白山神社に来ました。

紫陽花祭りですよ。

Saturday, June 03, 2017

終着駅シリーズ307:増毛(’12年12月29日撮影)

Mashike station
Mashike station
 JR北海道は留萌本線の終着駅の増毛です。
 このコーナーの歴史はwikiで簡単に調べることが多いが、中でもこの増毛駅のwikiには驚かされる。要約すると日露戦争で領土となった樺太の南半分へのルートとして、宗谷本線を敷設して稚内港から、あるいは留萌港を改修して使うことよりも、港が早く使える増毛まで延長し北海道樺太間輸送における鉄道港湾連続輸送の重要ルートとして使うことが合理的であると計画され実際に行われたというもの。今の様子を見るににわかには信じがたい。
 その歴史は1921年11月05日に鉄道省の終着駅として開業します。そしてモータリゼーションによる利用者の低迷により’16年12月05日に廃止となります。’14年の輸送実績はこの区間で39人/日と発表されていました。増毛はかつて鰊漁により賑わい、鰊御殿が多数建っていたという。開通時から樺太輸送に使えるほど港が立派だったのも、このことに起因していると考えられ、人が集まれば鉄道も伸びるというものであったろう。そして一つの時代が終わり、留萌本線の末端区間(留萌〜増毛)は廃止となってしまいました。
 その増毛駅。国道231号線のメインルートから外れるため、町外れに位置しています(昔は中心だったのかもしれません)。駅構内はかつての賑わいと貨物の取り扱いを示すかのような広さがあり、そして駅舎の前には立派な倉庫街が広がっています。そんな広大な敷地に廃止時には1線1ホームの寂れた終着駅となっていてました。筆者の取材時には駅舎内に駅そば”そば処 増毛駅”の営業があり、海産物を販売する”孝子屋(ここや)ぐるめ食品”の営業があり、意外と賑わっているな?との印象を受けました。

Tuesday, May 30, 2017

終着駅シリーズ306:石狩沼田(’12年12月29日撮影)

Ishikarinumata station
 JR北海道は留萌本線の途中駅の石狩沼田です。
 1910年11月23日に鉄道院の留萠線の途中駅として開業します。’31年10月10日には当駅を起点として札沼北線が中徳富まで開業します。その後’72年06月19日には札沼線のここから新十津川までの区間が廃止となり。終着駅の任をおります。

Saturday, May 27, 2017

終着駅シリーズ305:北海道医療大学(’12年12月23日撮影)

Hokkaidoiryodaigaku station
 JR北海道は札沼線の途中駅の北海道医療大学です。
 当駅は’81年12月01日に札沼線の大学前仮乗降場として開業。’95年には北海道医療大学に改称と共に折り返し線を新設。その後駅No.(G14)が設定され現在に至ります。
 この駅No.札沼線ではこの駅以北の設定がありません。ということで駅No.による終着駅としてこのコーナーで取り上げました。それと交通系ICカードが利用できる日本最北の駅だそうです(路線バスを除く)。

Monday, May 22, 2017

終着駅シリーズ304:新十津川(’12年12月22,23日撮影)

Shintotsugawa station
Shintotsugawa station
 JR北海道は札沼線の終着駅の新十津川(しんとつかわ)です。
 当駅は’31年10月10日に札沼北線の終着駅の中徳富(なかとっぷ)として開業します。3年後の’34年10月10日には当駅〜浦臼間が延伸開業、翌年の’35年10月03日には浦臼〜石狩当別間が開業し札沼線は全通となります。しかしその後’43年10月01日には第二次大戦の激化に伴う不要不急線として石狩月形〜石狩追分間が営業休止になり当駅も営業休止となります。
 戦後の’53年11月03日には営業が再開され、当駅の名称は新十津川と改められます。その後、国鉄の赤字線(73線区)整理の対象となり’72年06月19日に当駅と石狩沼田間が廃止となり以来終着駅となっています。
 しかしJR化後の現在、この駅を含む区間の営業成績が思わしくなく、現在は廃止の打診が各行政自治体に向けて行われているようです。’16年03月26日には浦臼〜新十津川間の運行が1日1往復となり路線バスで言う所の免許維持路線の様相になっています。
 JR北海道は駅ナンバリングを’07年に北海道の全域にわたって実施していますが、これに漏れた区間が存在しています。更新日現在では 留萌本線、根室本線(武佐〜根室)、日高本線、室蘭本線(遠浅〜志文)、札沼線(石狩金沢〜新十津川)がこれにあたり、利用実態が怪しい線区と見ることができそうです。

 さて、筆者はこの駅に(’12年12月)22日と23日の両日にわたって立ち寄りました。22日立ち寄り撮影しようと思いましたが、駅付近には街路灯もなく、それどころか車で進入路を発見するのに一苦労でした。でとても暗かったので駅の真ん前に車を停めライトをあてて撮影。そのあと時刻表を見るとこの真っ暗な中に到着する便が設定されており(3往復時代)びっくりしました。で結局のところ翌日の撮り直しとなりました。

 ところでこの駅には駅ノートが設置されていますが、この駅に隣接する空知総合病院がその内容をネットに公開してくださっています。なかなか面白いですね(こちらです。

Sunday, May 14, 2017

終着駅シリーズ303:新栃木(’17年04月21日撮影)

Shintochigi station
 東武宇都宮線の始発駅の新栃木です。
 当駅は’29年04月01日に東武日光線の途中駅として開業します。’31年08月11日に東武宇都宮線が開業して始発駅となります。東武宇都宮線は当駅が起点ですが、ほとんどの電車がJR線との乗り換え駅である南隣の栃木駅まで乗入れしています。
 栃木市の市街地は、この新栃木駅と栃木駅との間に広がっています。そのためどちらの駅で降りてもなんだか、あまり栄えてないな?という印象を受けます。また、この駅の近くにはヤオハンがあります。

Wednesday, May 03, 2017

終着駅シリーズ302:五所川原(’12年11月11日撮影)

Goshogawara station
 JR東日本五能線の途中駅の五所川原です。
 1918年09月25日に陸奥鉄道の終着駅として開業します。その後の1924年にはこの路線に接続する形で(国鉄としては連絡線のない状態)で五所川原線が陸奥森田まで開業します。1927年には前述の陸奥鉄道を国鉄が買収し五所川原線となります。その後の1936年には計画線が全通し、路線名が五能線となります。
 ところで、この五能線ちょっと変わった名前です。この路線は東能代と川部を結んでいるので、普通に命名すれば川東線。あるいは川部の行政区画である光田寺村や現在の田舎館村を冠した田東線が有力と思うのですが、なぜかそうなっていません。能代側は能代の能からとれば田能線となって現在の名称に近づきます。しかし路線名称にこの途中駅の五所川原を冠したのはどういうことだろう?
 この五能線という名前、実は2つの路線名称の合体なのです。先ほど述べた五所川原線と、能代側で運転されていた能代〜東能代間の能代線が繋がったので五能線ということらしいです。合点が行きますね。

Sunday, April 23, 2017

根津神社





今日はツツジを見に来ました。

Sunday, April 16, 2017

終着駅シリーズ301:津軽五所川原(’12年11月11日撮影)

Tsugarugoshogawara station
 津軽鉄道の始発駅の津軽五所川原です。
 ’30年07月15日に当駅と金木間が開業して始発駅となります。開業時は国鉄との供用駅舎であったようです。
 写真には津軽鉄道の駅舎と左隣の同鉄道の本社ビルが写っています。この写真の右隣の少し離れたところにはJR東日本の大きな駅舎があります。また後ろには弘南バスのバスターミナルの建物があります。
 かつての鉄道敷設法では、津軽鉄道の津軽中里から三厩経由で青森まで至る路線が計画されていた(現在の津軽線にあたる)。実現していたら現在はどうなっていたのか?と考えるとちょっと楽しいですね。
 そして五所川原といえばなんと言っても、”りんご”です。ここ五所川原には果肉まで赤いりんごがあるようです。その名も御所川原で生産量はとても少なく、主に加工用なのだとか。写真が見たい人はググってね(ここでわらう)。

Saturday, April 15, 2017

ぬかった

今日は個人的なメモ

 しばらくロープウェイの新設はない!と勝手に思い込んでいたら
 今期(’16ー’17年)には2本のゴンドラリフトが新設されていたのですね。
 また行かなくては(ここで笑う)

 2本はいずれもニセコビレッジ内で

 ニセコビレッジエクスプレス(830m) 8人乗り
 アッパービレッジゴンドラ(300m) 8人乗り

 中でもニセコビレッジエクスプレスはゴンドラとリフト(6人乗り)
 の混在だそうで、アライマウンテン以来の快挙?でスカ?

 瑞穂ハイランドのサマーゴンドラもあったか(’16年は運転されなかったけど)  

Tuesday, April 11, 2017

終着駅シリーズ300:津軽中里(’12年11月11日撮影)

Tsugarunakazato station
 津軽鉄道の終着駅の津軽中里です。
 当駅は’30年11月13日に開業。以来、今日まで来津軽鉄道の終着駅として営業を続けています。北海道の私鉄(公営を除く、ついでにJRも除く)が全廃となったことで、日本最北の私鉄の終着駅となっています。
 写真にはスーパーストア中里駅前店との看板が写っていますが、このスーパーは’08年に営業休止となっていて、このスペースには交流施設の”駅ナカにぎわい空間”が入って、観光客のおもてなしをしています。
 駅前には中泊町役場がありますが、周辺には見所は少なく中泊町博物館が徒歩数分のところにある程度である。北海道新幹線が開通してからはここから奥津軽いまべつ駅までの路線バスが運転されています。この路線は将来は津軽鉄道によってDMVによる運転計画があるようですが、正直なところ距離がありすぎて果たしてどうなりますか?というところです。

Saturday, April 08, 2017

浅草


まで戻って来ました。
カメラマンがいっぱい湧いています。

栃木


もう気が済んだので、帰ります。
ではまたw

コミュニティ




に乗りました。

新栃木


堪能したので新栃木で降りました。

会津田島行き


に乗りました