2は昭和58年のトーサクのシングル
Monday, February 27, 2012
Sunday, February 26, 2012
Saturday, February 18, 2012
終着駅シリーズ99:西田原本(’09年08年09日撮影)
近鉄田原本線の始発駅の西田原本です。路線の名前はたわらもと線であってたはら本線ではありません。
近鉄橿原線の田原本からは200mの距離にあり、まさに目と鼻の先にあります。筆者のおぼろげないい加減な記憶では、以前この駅に来た時にはこの両者の駅の間には家が建ち並んでいて、直接見えないようになっていたように思うのだが、いつの間にか?間にある家々がなくなり両者の駅の間にバス乗場が整備されています。
しかも筆者がこの撮影をした時にはありませんでしたが、その後、橿原線の田原本駅には西口が整備されて、バス乗場を挟んで両側に近鉄の駅があるとっても不思議な場所になっています。今更だけど、西田原本駅への電車を田原本駅へ乗入れる工事をした方がよいように思うのだがどうなんだろ?
近鉄橿原線の田原本からは200mの距離にあり、まさに目と鼻の先にあります。筆者のおぼろげないい加減な記憶では、以前この駅に来た時にはこの両者の駅の間には家が建ち並んでいて、直接見えないようになっていたように思うのだが、いつの間にか?間にある家々がなくなり両者の駅の間にバス乗場が整備されています。
しかも筆者がこの撮影をした時にはありませんでしたが、その後、橿原線の田原本駅には西口が整備されて、バス乗場を挟んで両側に近鉄の駅があるとっても不思議な場所になっています。今更だけど、西田原本駅への電車を田原本駅へ乗入れる工事をした方がよいように思うのだがどうなんだろ?
終着駅シリーズ98:新王寺(’09年08月09日撮影)
近鉄田原本線の終着駅の新王寺です。JRと近鉄の王寺駅の駅前にあり屋根伝いに雨にぬれずに乗り換える事が出来ます。王寺駅前は再開発が行われていて、あれ?と思うほど綺麗になっています。そんなところに向かい合わせに近鉄の終端式の駅が二つ位置している不思議な駅です。
この路線の数奇な運命は類書で読んでいただくとして、端的に言えば枚方−私市−生駒−王寺−田原本−桜井−そして名張−宇治山田への路線建設を目指していた大和鉄道の一部のなれのはてとなっています。いろんな買収の結果こんな不思議な形で残ったものです。
現在は始発の西田原本に近鉄橿原線との連絡線があるが(臨時を除いて)旅客営業はされておらず、独立した路線となっています。但し運賃計算は田原本−西田原本、王寺−新王寺での通算での計算となっているようです。
さて、この駅は再開発に取り残されたように旧駅のまま残っています。それはどういう意味なのか、単に予算がないのか、なんだかな?と思う。こんな形で残すのであれば、王寺駅前の再開発の時に線路を繋げることは出来なかったのかな〜と思ってしまう駅です。
この路線の数奇な運命は類書で読んでいただくとして、端的に言えば枚方−私市−生駒−王寺−田原本−桜井−そして名張−宇治山田への路線建設を目指していた大和鉄道の一部のなれのはてとなっています。いろんな買収の結果こんな不思議な形で残ったものです。
現在は始発の西田原本に近鉄橿原線との連絡線があるが(臨時を除いて)旅客営業はされておらず、独立した路線となっています。但し運賃計算は田原本−西田原本、王寺−新王寺での通算での計算となっているようです。
さて、この駅は再開発に取り残されたように旧駅のまま残っています。それはどういう意味なのか、単に予算がないのか、なんだかな?と思う。こんな形で残すのであれば、王寺駅前の再開発の時に線路を繋げることは出来なかったのかな〜と思ってしまう駅です。
Sunday, February 12, 2012
終着駅シリーズ97:王寺(’09年08月09日撮影)
近鉄生駒線の始発駅とJR西日本の和歌山線の始発駅の王寺です。奈良県にあるJRの駅としては最も乗降客が多い駅(奈良駅よりも多い)だとかなんとか。しかしここの所在地は北葛城郡王寺町とか。
それもそのはずで、その乗り入れ路線は上記の他に、JR系が関西本線と桜井線方面の直通電車と近鉄の田原本線と多くの路線への乗換駅となっているとともに、関西本線の各駅停車はこの駅を終着とする電車が多くなっている駅です。
写真は正面がJR側の駅で、右側の改札口が近鉄生駒線の改札口となっていてその両者を仲良く結ぶように屋根が掛けられています。
それもそのはずで、その乗り入れ路線は上記の他に、JR系が関西本線と桜井線方面の直通電車と近鉄の田原本線と多くの路線への乗換駅となっているとともに、関西本線の各駅停車はこの駅を終着とする電車が多くなっている駅です。
写真は正面がJR側の駅で、右側の改札口が近鉄生駒線の改札口となっていてその両者を仲良く結ぶように屋根が掛けられています。
Tuesday, February 07, 2012
終着駅シリーズ96:高松(’09年08月12日撮影)
言わずと知れた、四国の玄関口の駅の高松です。かつては宇高連絡船がこの駅に発着し本州からの多数の乗客がこの駅で乗換えて四国各地へ急ぐ玄関口の駅でした。瀬戸大橋線の開通によってこの駅で多くの乗客が走って乗り換える姿は見られなくはなりましたが、いまだ玄関口としての威厳は残っているとしていいでしょうか?
宇高連絡船の廃止の後、線路が連絡船桟橋から切り離され、駅は桟橋側から0.3kmセットバックし現在の駅舎が立てられています。一方桟橋の方は、かつての連絡船桟橋があったあたり一体が埋め立てられ数百メートル沖に新しい港、サンポートとして再出発しています。その間に出来た土地は再開発エリアとして、商業施設や合同庁舎そしてホテルなどが建てられています。しかも、年々利便性が高まる高速バスが、その再開発で出来たバスターミナルから関西方面へひっきりなしに出発している様は皮肉でさえあります。
写真撮影場所はかつて桟橋へ繋がる線路があった場所です。0.3kmセットバックした関係で0kmポストが存在せず、駅には0.3kmポストがあるとのことですから、0.3km歩くとそこがかつての起点ということになるのですが…。
かつての駅うどんの香りのする四国に来た事を実感する駅から、どことなく新らしくよそよそしくなった高松駅は四国ではめずらしく自動改札化されています。
宇高連絡船の廃止の後、線路が連絡船桟橋から切り離され、駅は桟橋側から0.3kmセットバックし現在の駅舎が立てられています。一方桟橋の方は、かつての連絡船桟橋があったあたり一体が埋め立てられ数百メートル沖に新しい港、サンポートとして再出発しています。その間に出来た土地は再開発エリアとして、商業施設や合同庁舎そしてホテルなどが建てられています。しかも、年々利便性が高まる高速バスが、その再開発で出来たバスターミナルから関西方面へひっきりなしに出発している様は皮肉でさえあります。
写真撮影場所はかつて桟橋へ繋がる線路があった場所です。0.3kmセットバックした関係で0kmポストが存在せず、駅には0.3kmポストがあるとのことですから、0.3km歩くとそこがかつての起点ということになるのですが…。
かつての駅うどんの香りのする四国に来た事を実感する駅から、どことなく新らしくよそよそしくなった高松駅は四国ではめずらしく自動改札化されています。
Sunday, February 05, 2012
Saturday, February 04, 2012
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