カーニバル? 人多すぎ
さて帰ろう
Saturday, August 31, 2013
Sunday, August 25, 2013
終着駅シリーズ159:唐木田(’13年08月14日撮影)
小田急多摩線の終着駅の唐木田です。’90年03月27日に開業し終着駅となり、’00年にはロマンスカーのホームウェイと多摩線での急行運転が開始されるなど、発展を続けています。
当初計画ではここから、横浜線の相模原、そして相模線方面への延伸が計画されていましたが、その計画は進んでいないようです。
当初計画ではここから、横浜線の相模原、そして相模線方面への延伸が計画されていましたが、その計画は進んでいないようです。
終着駅シリーズ158:産業道路(’10年10月01日撮影)
京急大師線のかつての終着駅の産業道路です。1925年08月15日海岸電気軌道(総持寺−大師間)の途中駅として開業しますが同線は廃止となります。その後の’44年06月01日に今度は東急電鉄の終着駅として開業します。産業道路−入江崎間の延長開業によって終着駅としての任を終えています。
片側3車線(両側で6車線)の道路(産業道路)を踏切で超える構造で、現在はこの連続立体交差化工事が行われています。殆どの区間で地下化し、この特徴的な踏切もなくなります。
地下化時には、駅名を海岸電気鉄道時代の大師河原とする旨の要望がだされているのだとか。
筆者は産業道路の名称の方が親しみやすいですけどね。
片側3車線(両側で6車線)の道路(産業道路)を踏切で超える構造で、現在はこの連続立体交差化工事が行われています。殆どの区間で地下化し、この特徴的な踏切もなくなります。
地下化時には、駅名を海岸電気鉄道時代の大師河原とする旨の要望がだされているのだとか。
筆者は産業道路の名称の方が親しみやすいですけどね。
Saturday, August 17, 2013
終着駅シリーズ157:小島新田(’10年10月01日撮影)
京急大師線の終着駅の小島新田です。’44年10月01日産業道路−入江崎間の延長開業によって同駅も開業します。産業道路−小島新田−塩浜−入江崎で、’45年01月07日には桜本まで延長開業します。
その後、当駅から桜本までの区間が川崎市電への譲渡され、当駅は京急の終着駅となります。譲渡された側の川崎市電は’67年08月01日に同区間を廃止しています。
京急大師線は川崎市との共同で連続立体交差化が行われています。殆どの区間で地下化し、一部区間ではルート変更も計画されています。そして完成の暁には川崎市営地下鉄を名のることが既に決まっています。
なんというか、歴史は繰り返すというか…
その後、当駅から桜本までの区間が川崎市電への譲渡され、当駅は京急の終着駅となります。譲渡された側の川崎市電は’67年08月01日に同区間を廃止しています。
京急大師線は川崎市との共同で連続立体交差化が行われています。殆どの区間で地下化し、一部区間ではルート変更も計画されています。そして完成の暁には川崎市営地下鉄を名のることが既に決まっています。
なんというか、歴史は繰り返すというか…
Wednesday, August 14, 2013
Tuesday, August 13, 2013
終着駅シリーズ156:月潟(’10年09月05日撮影)
新潟交通電車線のかつての終着駅の月潟です。1933年08月15日に白根駅からこの駅を通って燕までの区間が開始。その後、モータリゼーション?による不採算区間として、’93年08月01日に当駅より先の燕駅方向の路線が廃止となって、終着駅となりました。
開通当初の行政区画は月潟村でしたが、現在では新潟市南区になり、大都会を想像させるものとなっています。しかし交通機関の不便さは特筆もので、当駅までは新潟駅から直通の新潟交通820系統(味方線)が乗入れていますが、この2つ先(新飯田)までは同じ新潟市南区にあるにもかかわらず、市内中心部への直通バスは存在していなく、”陸の孤島”と呼ばれているようです。さらに、ここから燕方向への路線バスは1日2往復(土休日運休)の月潟・六分線しかない状態になっています。
駅はかつての新潟交通の電車が静態保存され、旧月潟駅周辺公園として整備されています。その管理はボランティアの手によって精力的に行われているようです。2chに同駅のオンライン落書きノートがあるのが有名ですね。
筆者はこの日、燕駅でバスの時刻表を見て卒倒しw、仕方がないのでタクシーでこの写真の場所へ乗り付けました。ちょうど作業をされていたボランティアの方々に軽く会釈をしてから、電車内の見学ができました。おじゃましました。
開通当初の行政区画は月潟村でしたが、現在では新潟市南区になり、大都会を想像させるものとなっています。しかし交通機関の不便さは特筆もので、当駅までは新潟駅から直通の新潟交通820系統(味方線)が乗入れていますが、この2つ先(新飯田)までは同じ新潟市南区にあるにもかかわらず、市内中心部への直通バスは存在していなく、”陸の孤島”と呼ばれているようです。さらに、ここから燕方向への路線バスは1日2往復(土休日運休)の月潟・六分線しかない状態になっています。
駅はかつての新潟交通の電車が静態保存され、旧月潟駅周辺公園として整備されています。その管理はボランティアの手によって精力的に行われているようです。2chに同駅のオンライン落書きノートがあるのが有名ですね。
筆者はこの日、燕駅でバスの時刻表を見て卒倒しw、仕方がないのでタクシーでこの写真の場所へ乗り付けました。ちょうど作業をされていたボランティアの方々に軽く会釈をしてから、電車内の見学ができました。おじゃましました。
Monday, August 12, 2013
Sunday, August 11, 2013
終着駅シリーズ155:三ノ輪橋(’10年09月23日撮影)
東京都交通局(いわゆる都電)の三ノ輪橋駅です。東京メトロには似た名前の三ノ輪駅がありますが場所は離れています。
1913年04月01日に王子電気軌道(現在の荒川線)の駅として開業して以来終着駅となっています。都電の全盛期には少し離れた場所に同じ名前の駅(こちらは東京市電)があったとか。
筆者が最初にこの駅に来た時には、写真右側の歩道となっている所に線路がある2線2ホームの駅でした。ワンマン化の時に今の形に改造され、さらに現在の駅の形になったのは’08年の9000形の運転開始に合わせてリニューアルされたものらしい。
さて、筆者はこの撮影のあと、三ノ輪橋商店街をうろうろして、都電ブレンドの看板のかかる喫茶店を見つけたのでコーヒーをいただきました。店内でのんびりしてマスターのお話をお伺いました。とっても人情の感じるあたたかい商店街で束の間のリフレッシュができました。
1913年04月01日に王子電気軌道(現在の荒川線)の駅として開業して以来終着駅となっています。都電の全盛期には少し離れた場所に同じ名前の駅(こちらは東京市電)があったとか。
筆者が最初にこの駅に来た時には、写真右側の歩道となっている所に線路がある2線2ホームの駅でした。ワンマン化の時に今の形に改造され、さらに現在の駅の形になったのは’08年の9000形の運転開始に合わせてリニューアルされたものらしい。
さて、筆者はこの撮影のあと、三ノ輪橋商店街をうろうろして、都電ブレンドの看板のかかる喫茶店を見つけたのでコーヒーをいただきました。店内でのんびりしてマスターのお話をお伺いました。とっても人情の感じるあたたかい商店街で束の間のリフレッシュができました。
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