Sunday, June 25, 2017

終着駅シリーズ310:幌加内(’12年12月28日撮影)

 かつてのJR北海道は深名線の幌加内です。1929年11月08日に鉄道省の雨龍線の終着駅として開業しています。その後1931年09月15日には添牛内まで延長され途中駅となります。その後路線名は幌加内線→深名線となりJR北海道に経営が引き継がれ、’95年09月04日に廃止となります。
 廃止後の駅舎はバスターミナルとして活用されていましたが、’00年03月19日の火災により焼失してしまいます。そしてバスターミナルは幌加内交流プラザへと移転し、かつての駅前には簡単な石碑とマニュメントが作られました(冬場は雪に埋もれて見えませんが草)。その幌加内交流プラザには、2階に深名線資料室が設けられています。
 筆者訪問時には資料室の電気がついていなかったので、係員氏にいうと電気をつけてくれました。写真は3枚ありますが、1枚目がかつての駅跡で、2枚目が幌加内交流プラザ、そして3枚目が深名線資料室です。

Sunday, June 18, 2017

終着駅シリーズ309:岩槻(’17年03月28日撮影)

 東武野田線(アーバンパークライン)の途中駅の岩槻です。
 1929年11月17日に北総鉄道の途中駅の岩槻町として開業します。’39年には岩槻駅に改称し。’44年には会社合併により東武鉄道の駅となりますが、路線形態はほぼ開通時のまま現在に至ります。’16年03月26日には急行運転が始まり大宮〜春日部間の急行運転区間の唯一の停車駅に、さらに’17年04月21日には特急の定期の特急列車”アーバンパークライナー”の運転が始まり下り大宮方面のみの停車駅となります。
 岩槻駅前は’96年頃に駅前の大規模再開発が行われ、それまでの駅前の風景を一新している(筆者も?年ぶりにこの駅に下りたところ随分な変わりように驚かされた)。’04年には旧岩槻市とさいたま市の合併があり、当駅前の再開発ビルに岩槻区役所が入っている。
 埼玉高速鉄道の埼玉サッカースタジアム線には延伸計画があり、現在の終点の浦和美園からここ岩槻を通ってJR東北本線(宇都宮線)の蓮田までをつなぐというもの。そのうちの先行開業区間としてここまでの建設が有力となってきている。浦和美園駅自体はさいたま市緑区に位置しているが埼玉サッカースタジアムの北側からすぐに岩槻区となっており、区としては特にこの延伸に力が入っているようである。計画には途中駅として、埼玉サッカースタジアム(臨時駅)駅、中間駅(目白大学付近)が設けられ、終点の岩槻駅は現在の東武駅の東側(ちょうどこの写真撮影の位置ぐらい)が有力となっています。さて実現しますかどうか?

Sunday, June 11, 2017

終着駅シリーズ308:浦和美園(’17年03月28日撮影)

 埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線の終着駅の浦和美園です。
 ’01年03月28日に開業。開業当初の駅前は、ほぼ更地に近い状態で、’02年のFIFAワールドカップの行われた埼玉スタジアムのためだけに作られた状態になっていました。しかし地下鉄直結という便の良さからか、徐々に開発が進み’06年のイオンモール浦和美園の開業によりそれは加速し一気に賑やかになって来ています。
 この路線には延伸の計画があり、東武野田線(アーバンパークライン)の岩槻を通ってJR東北本線(宇都宮線)の蓮田までをつなぐというものである。現在のところ検討委員会?によるB/C分析の結果が0.9とわずかに1を超えていないことからすぐに着工ということにはならないようである。しかもこの延伸が実現した時にはこの線の急行運転が計画されていて、鳩ヶ谷かここ浦和美園に退避線を作るかもしれない(らしい)。そんな延伸計画が進展しないなか、とりあえず’20年のオリンピックまでに埼玉スタジアム(臨時駅)までを延ばしてどうかという話が持ち上がってきている。
 さて、この駅には埼玉スタジアムでのイベント時だけに使用される3番線(通常使用は1と2番線)がある。この3番線は通常使用の改札内につながってなく、写真の正面側の一階のシャッターをあげると、自動改札があり、そのまま階段を昇り降りすることなく直接ホームにアクセスできる構造となっている。
 ’17年5月にはネーミングライツによるサブネームが付けられ、その名前が、”浦和美園とともに歩む 埼玉りそな銀行 最寄駅(今秋オープン予定)”となった。近年は、色々なナーミングライツが増えてきていますが、銀行の最寄駅というアピールもなんだかな?と思うが、(今秋オープン予定)というサブネームはおそらく全国唯一であろう。銀行がオープンすると(今秋オープン予定)が消される予定となっている。せっかくだからオープンも延伸して謎のサブネームにしてしまうともっと面白いと思う。
 

白山神社




今日は白山神社に来ました。

紫陽花祭りですよ。

Saturday, June 03, 2017

終着駅シリーズ307:増毛(’12年12月29日撮影)

 JR北海道は留萌本線の終着駅の増毛です。
 このコーナーの歴史はwikiで簡単に調べることが多いが、中でもこの増毛駅のwikiには驚かされる。要約すると日露戦争で領土となった樺太の南半分へのルートとして、宗谷本線を敷設して稚内港から、あるいは留萌港を改修して使うことよりも、港が早く使える増毛まで延長し北海道樺太間輸送における鉄道港湾連続輸送の重要ルートとして使うことが合理的であると計画され実際に行われたというもの。今の様子を見るににわかには信じがたい。
 その歴史は1921年11月05日に鉄道省の終着駅として開業します。そしてモータリゼーションによる利用者の低迷により’16年12月05日に廃止となります。’14年の輸送実績はこの区間で39人/日と発表されていました。増毛はかつて鰊漁により賑わい、鰊御殿が多数建っていたという。開通時から樺太輸送に使えるほど港が立派だったのも、このことに起因していると考えられ、人が集まれば鉄道も伸びるというものであったろう。そして一つの時代が終わり、留萌本線の末端区間(留萌〜増毛)は廃止となってしまいました。
 その増毛駅。国道231号線のメインルートから外れるため、町外れに位置しています(昔は中心だったのかもしれません)。駅構内はかつての賑わいと貨物の取り扱いを示すかのような広さがあり、そして駅舎の前には立派な倉庫街が広がっています。そんな広大な敷地に廃止時には1線1ホームの寂れた終着駅となっていてました。筆者の取材時には駅舎内に駅そば”そば処 増毛駅”の営業があり、海産物を販売する”孝子屋(ここや)ぐるめ食品”の営業があり、意外と賑わっているな?との印象を受けました。