Sunday, November 29, 2015

終着駅シリーズ265:興部(’12年03月01日撮影)

 旧国鉄興浜南線の始発駅の興部です。名寄本線からの分岐駅でした。
 興部駅は、1921年03月25日に鉄道省の名寄東線の中湧別から当駅までの延長によって開業しました。興浜南線の開業は1935年09月15日で興部まで開業しました。住民の悲願である、オホーツク縦貫鉄道の一部となるはずでしたが、結局それは実現することはありませんでした。
 そしてその興浜南線は1985年07月15日に、名寄本線は1989年05月01日に惜しまれつつ廃止となりました。
 写真はその場所に建つ道の駅おこっぺでバスターミナルを兼ねています。中に入ると名寄本線、興浜南線の展示コーナーがあり、往時を偲ぶことができます。一番下の写真は当時の駅舎のモデルです。なんだか懐かしいですね。

Sunday, November 22, 2015

終着駅シリーズ264:山陽網干(’12年08月12日撮影)

 山陽電鉄網干線終着駅の山陽網干です。1941年07月06日に電鉄網干駅として開業します。
 駅は写真のファミリーマートの奥に改札口があります(ウィキによれば現在はファミリーマートが撤退しホットモットが入店しているとか)。駅はJRとは違い市の中心部に位置しています。
 当初はここから岡山方面への延伸を図ったものでしたが、紆余曲折あり計画は実現することはありませんでした。その志は社名に残る山陽の文字。兵庫県内の営業エリアにもかかわらず山陽を名乗るのはそういう経緯だとか。

終着駅シリーズ263:山陽姫路(’12年08月13日撮影)

 山陽電鉄本線終着駅の山陽姫路です。1923年08月19日に神戸姫路電気鉄道の姫路駅前として開業します。
 駅は写真の山陽百貨店の2階に乗り入れています。開業当初はもっと列車編成が短かったのでしょうけど、現在では阪神梅田からの直通特急などをはじめ最大6両の電車が走っていますが、狭い駅ビルへの乗り入れの手狭感の伝わる涙ぐましい構造となっています。
 ネットの噂では、実はこの山陽百貨店には将来の山陽姫路駅の地下化に備えた準備工事がされていて、幻の駅が作られているとのこと。今回のJRの姫路駅付近高架工事でこれが日の目を見るか?と思われましたが、残念ながらこれは実現しませんでした。
 JR姫路駅の高架工事完成で、その敷地がコンパクトになって、この駅はJRから若干駅から離れた感じになっていましたが、近年JRの新らしい駅ビルピオレ姫路からのペデストリアンデッキで結ばれてまた便利になったようです。

Sunday, November 15, 2015

今日は…

♪iPad 買おうと 街まで 出かけた〜ら
 キーボード 売り切れで 愉快な サザ〜エさん
 みんなが 笑ってるぅ〜 お日様も 笑ってる〜
 る〜るる るるる〜 今日〜も いい天気ぃ〜

していました。
でもキーボード無し手持ちでは使い道なさそうなので
結局買いませんでした(笑)。

Sunday, November 08, 2015

終着駅シリーズ262:姫路(’12年08月13日撮影)

 JR西日本山陽本線の姫路です。播但線と姫新線の始発駅になっています。1888年12月23日に山陽鉄道の明石〜当駅の開通時に開業しています。みなさん知っていると思うので詳しい説明は割愛します。
 写真は新幹線口(南口)の駅舎です。裏口の雰囲気があり北口の喧騒と比較すると寂しさが目立ちます。そして姫路といえばやっぱり駅そばですか(知らない人はググってねw)。

Saturday, November 07, 2015

終着駅シリーズ261:相馬(’15年08月30日撮影)

 JR東日本常磐線の相馬です。1897年11月10日に日本鉄道の中村駅として開業しています。
 そして月日は流れ’11年の東日本大震災の影響を受け、常磐線は津波、原発事故の影響によってそれから4年以上が経過した現在でも至るところが寸断されたままになっています。昔の国鉄風の言い方をすると、常磐南線が日暮里〜竜田で、常磐北線が浜吉田〜岩沼。そして常磐中線が原ノ町〜相馬です。
 ここ相馬から亘理までの区間が鉄道代行の区間となっていて、途中新地だけに停車する快速便と各駅停車の合わせて28往復が運転されています。近年では見ることが珍しくなったツバメマークのJRバスでの運転となっています。列車代行バスがこの塗色で走っているのを見るのもひょっとしたらこれで見納めかもしれません。
 また、常磐線の原ノ町までの区間は’14年03月に設定された、仙台近郊区間となっています。

Friday, November 06, 2015

終着駅シリーズ260:原ノ町(’15年10月25日撮影)

 JR東日本常磐線の原ノ町です。1898年04月03日に日本鉄道の駅として開業しています。
 そして月日は流れ’11年の東日本大震災の影響を受け、常磐線は津波、原発事故の影響によってそれから4年以上が経過した現在でも至るところが寸断されたままになっています。昔の国鉄風の言い方をすると、常磐南線が日暮里〜竜田で、常磐北線が浜吉田〜岩沼。そして常磐中線が原ノ町〜相馬です。つまりここから相馬までの区間がどこの鉄道線とも接続していない区間として運転されています。
 駅は南相馬市原町(はらまち)区に位置しています。この南相馬市は地域自治区制を施行しており行政区があり、その区名は旧町名を残した名称となっています。
 駅にはあの日出発できなかった、上野行きの特急ひたちがその方向幕を出したままずっと停車しています。今は線路が繋がっていない上野口では既に同系の仲間がとっくに第一線から去ったことも知らずに。

Sunday, November 01, 2015

終着駅シリーズ259:遠軽(’12年02月29日撮影)

 JR北海道石北本線の遠軽です。1915年11月01日に鉄道院の湧別軽便線(のちの国鉄湧別線:北見〜遠軽〜湧別)の部分開業(安国〜開盛)とともに開業します。1927年10月10日には石北東線の当駅〜丸瀬布間が開業し分岐駅となります。そして1932年10月01日には石北線(新旭川〜野付牛(現在の北見))が全線開業し、湧別方面の路線は名寄本線に統合されます。
 そして月日は流れ’89年05月01日には国鉄再建法に則り名寄本線が廃止となり、現在の平地でスイッチバックする不思議な形態の駅となります。
 遠軽はアイヌ語で見晴らしの良い場所を表す、”インカルシ”が訛ったもので、その郊外には瞰望岩(がんぼういわ)と呼ばれる地上78mの岩がそびえ立っています。この足元には遠軽町郷土館がありD51やラッセル車の保存車両が展示されています。

Saturday, October 31, 2015

終着駅シリーズ258:竜田(’15年08月29日撮影)

 JR東日本常磐線の竜田です。この区間の常磐線は1898年08月23日に開業しますが、その時にはここには駅はありませんでした。駅としては1909年03月25日に鉄道院の貨物駅として開業しています。
 そして月日は流れ’11年の東日本大震災の影響を受け、常磐線は津波、原発事故の影響によってそれから4年以上が経過した現在でも至るところが寸断されたままになっています。
 この竜田駅はそんな寸断された、常磐線の最も南側の終着駅です。つまり、上野(日暮里)から常磐線の電車に乗って北上するとここ竜田で終点として例外なく下車を促されます。ここから原ノ町までの区間は津波の影響で線路が流され、なおかつ原発事故による影響が重なって今だ放射線量が高く復旧もままならない状態になっています。
 この不通区間にも代行バスが運転されています。その運転区間は竜田〜原ノ町で帰還困難区域を走るので途中の駅には停まらず無停車で走ります。バス停には途中区間の放射線量は0.31〜14.7μSv/h(平均値は3.5μSv/h)で、この区間の1回の乗車で1.2μSvの被曝線量を受けますとのとっても恐ろしい言葉が並んでいます。困ったものです。
 駅は楢葉町に位置していて、この写真の撮影時には宿泊のできない避難指示解除準備区域に指定されていました。宿泊もできない危険な区域に東京から電車で行ける状態というのもどうか?と思っていましたが。同年09月05日にはこの指示が解除され復旧に向けて歩みだしています。

Saturday, October 24, 2015

終着駅シリーズ257:浜吉田(’15年08月30日撮影)

 JR東日本常磐線の浜吉田です。この駅は1897年11月10日に日本鉄道の途中駅として開業しています。
 そして月日は流れ’11年の東日本大震災の影響を受け、常磐線は津波、原発事故の影響によってそれから4年以上が経過した現在でも至るところが寸断されたままになっています。
 この浜吉田駅はそんな寸断された、常磐線の最も北側の終着駅です。つまり、仙台(岩沼)から常磐線の電車に乗って南下するとここ浜吉田で終点として下車を余儀なくされます。ここから相馬までの区間は津波で線路が流されていて不通となっています。そして急ピッチで新しい高架線の線路が建設されていますが、その開通は予定では’17年春とのことで、まだ当分先のようです。この不通区間には現在代行バスが運転されていますが、その運転区間は亘理〜相馬でこの浜吉田駅には入らないので、電車に乗ってこの駅で降りてしまうと相馬方面への交通機関は何もないということになります。
 駅は海岸に比較的近いところにあり、なんでこの駅は津波の影響を受けなかったのだろう?と思うほど付近には流された跡が至るところに見られます。

Sunday, October 11, 2015

終着駅シリーズ256:新神戸(’12年08月11日撮影)

 かつての神戸市交通局山手線の終着駅の新神戸です。北神急行電鉄北神線の始発駅でもあります。
 この駅は1985年06月18日に開業しています。北神線は’88年04月に谷上まで開通しています。新神戸といえば新幹線との接続駅ですが、歩いてすぐのところには新神戸ロープウェイの北野一丁目駅もあって隠れた?乗り換え駅となっていますね。

Sunday, October 04, 2015

終着駅シリーズ255:粟生(’12年08月11日撮影)

 かつてのJR西日本加古川線の粟生です。神戸電鉄粟生線の終着駅であり、北条鉄道の始発駅でもあります。
 この駅は1913年05月06日に播州鉄道の途中駅として開業しました。1915年3月には北条線が開業し分岐駅となり、さらに’52年04月には神戸電鉄が当駅まで乗り入れています。
 写真の駅舎は’09年10月に建て替えられたものであるとか。近年どこに行っても見た事のない駅舎が増えてきて、どこだここは?と思う事が多くなりましたね。大きな駅舎ですがコミュニティーレストランのAo(粟生)―mercato(メルカート)野菜ごはんを併設しています。

Monday, September 28, 2015

終着駅シリーズ254:鍛冶屋(’12年08月11日撮影)

 かつてのJR西日本鍛冶屋線の鍛冶屋です。
 この駅は1923年05月06日に播州鉄道の終着駅として開業しました。’90年04月01日には鍛冶屋線が廃止となり、当時の駅舎はキハ30とともに、新しく作られたロータリーの真ん中に取り残されて、モニュメントとなりました。ときたまかつての鍛冶屋線ルートを踏襲する転換バスが、このロータリーをぐるっと回って走り去っていく姿を見ることができます。

終着駅シリーズ253:西脇市(’12年08月11日撮影)

 かつてのJR西日本鍛冶屋線の始発駅の西脇市です。ここは鍛冶屋線が現役の時代には野村駅を名乗っていました。野村の鍛冶屋線の次の駅が西脇で西脇市の中心駅でした。現在ではその西脇には商業施設を兼ねたバスターミナルが建てられていて、大阪駅からの直通の高速バスのターミナルとなっています。
 この駅は1913年10月22日に滝駅と西脇駅の中間に設けられました。その後、加古川線の谷川方面が開通し鍛冶屋線の始発駅となります。’90年04月01日には鍛冶屋線が廃止となり、加古川線の途中駅となります。そんな加古川線も’04年12月には全線電化されてキハ○○ではなく、103系3500番代や125系電車が運転されています。

Saturday, September 26, 2015

終着駅シリーズ252:姫路(’12年08月13日撮影)

 かつての姫路市営モノレールの始発駅の姫路です。近年まで駅跡らしきものが残されていたので、いつでも撮影できると思っていたら、JR線の姫路付近の高架工事とそれに伴う再開発によっていつのまにか、上の写真の山陽電鉄の高架線から駅側の区間が跡形もなくなっていました。
 姫路市営モノレールは姫路大博覧会に合わせて建設されたが、その開幕には間に合わず’66年05年17日に開通します。その後、姫路市は何を考えたか、市内にモノレールを張り巡らせる計画を発表します。しかし、この既開業区間の営業成績が全く振るわず、’77年04月には早くも営業休止となり、’79年01月26日に正式に廃止となっています。
 下側の写真はその路線の唯一の途中駅の大将軍駅です。公営住宅とモノレール駅、そしてビジネスホテルとアーケード街の複合施設となっていましたが、既に取り壊しが決まり、公営住宅以外はもぬけの殻になっています。姫路市の計画ではここを分岐駅としてP型の環状線を建設する計画となっていました。にわかに本気とは信じがたいですね。

終着駅シリーズ251:別府港(’12年08月13日撮影)

 かつての別府鉄道野口線と土山線の終着駅の別府港です。
 1921年09月03日別府鉄道野口線の終着駅の別府港として開業します。のちに土山線が開業し乗換駅となり、’84年02月01日に廃止となり現在に至ります。
 それからかなりの時が流れていますが、現在はタクシー会社として存続している同社の本社が存在していました。同社は近年、加古川市内の路線バスの廃止コミュニティーバス化によって、この運輸事業を請け負っていて、バス停で時刻表を見ると別府鉄道とかかいてのを見ることができ不思議な気持ちになります(路線はかつての鉄道線とは全く関わりのない区間です)。
 そしてかつての広かった駅構内は、イトーヨーカドーなどが建てられていて有効活用されています。

Saturday, September 19, 2015

終着駅シリーズ250:志染(’12年08月11日撮影)

 神戸電鉄谷上線の途中駅の志染です。
 1936年12月28日三木電気鉄道の終着駅の広野ゴルフ場前として開業します。開業当時は非電化で気動車での運転だったとか。その後同線は粟生まで延長開業し粟生線を名乗るようになります。
 それから時は流れ、競合路線の整備により乗客が減る傾向にあり、累積赤字が看過できないレベルとなって真剣に廃止が議論されるようになりました。可能性が高い案とされているのは、この志染から粟生までの廃止です。しかしながら、この区間には代替交通がないので、本当にそうなった場合には、利用者にはかなりの不便を強いることになりそうです。
 さて、この駅ですが、実は別のことでも有名です。それはこの付近には歩行者が線路を渡る道路がないことから、駅構内を自由に横断することが出来る通行証が発行されています。ちなみに発券は券売機で料金は勿論無料です。

Friday, September 18, 2015

終着駅シリーズ249:谷上(’12年08月11日撮影)

 北神急行電鉄北神線の始発駅の谷上です。
 1928年11月28日神戸有馬電気鉄道の谷上駅として開業します。’88年04月02日には北神急行電鉄北神線が開業し始発駅となります。
 この開業によって、ここから三宮方向に到達時分が大きく改善していますが、その分神鉄の鈴蘭台〜湊川方面の本線系統の乗客が少なくなっていることは間違いありません。

Friday, September 11, 2015

終着駅シリーズ248:松川(’15年08月10日撮影)

 かつての川俣線の始発駅の松川です。
 1887年12月15日日本鉄道の途中駅として開業します。1926年03月01日には川俣線(松川〜岩代川俣)が開業し始発駅となりますが、その川俣線は’72年05月14日には廃止となってしまいます。川俣線は廃止後国鉄バスへの転換後→JRバス→カネハチタクシーによる自治体の自主運行バスに移管されています。その本数は平日が5往復(松川発:720,753,1615,1749,1939)、土休日に至ってはわずかに3往復(753,1749,1939)になっています。
 駅舎は’15年03月20日に建替工事が完了し、写真のような立派なものになっています。

終着駅シリーズ247:御茶ノ水(’15年08月10日撮影)

 総武本線(JR東日本)の始発駅の御茶ノ水です。
 駅は1904年12月31日甲武鉄道の都心乗り入れ路線として飯田町からの延長開業にて開設されます。その後中央本線は東京へ、総武本線が接続し、東京メトロが接続して現在に至ります(適当〜w)。
 ご存知とは思いますが、地名(住所表記)にはお茶の水という場所はないのです。しかし、一般的な広域名称として、道路標識などにはお茶の水(”の”がひらがな)の名称が用いられ、駅名標記には御茶ノ水(御が漢字、ノがカタカナ)の表記が用いられています。でも?駅前に架かる橋の名前は御茶ノ水橋です。
 さて、筆者は現在文京区に在住ですが、この文京区は都心6区で唯一JR線の駅がないことで有名です。そしてこの御茶ノ水駅はJR線の駅の所在地が千代田区、東京メトロ(丸ノ内線)側が文京区の際どい駅になっています。そしてその両者の間を流れるのが神田川です、ここのJR->地下鉄の乗り換えが一旦地上にでてから橋を渡ることになるので、意外と面倒で時間もかかるので、ついつい敬遠して別のルートを探してしまうことになります。