Sunday, October 19, 2014
Monday, October 13, 2014
終着駅シリーズ200:渋谷(’13年03月10日撮影)
上の写真が既に過去帳入りした地上時代の東急東横線の始発駅、下の写真が間もなく過去帳入りが予定されている東京メトロ銀座線(3号線)の終着駅の渋谷駅です。
渋谷駅は1885年03月01日に日本鉄道の駅として開業しています。
写真の東急東横線は1927年08月27日に、東京メトロ銀座線(3号線)は1938年12月20日にそれぞれ開業しています。そして1968年には東横線は蒲鉾形の駅舎になり写真の形態となっています。
現在は副都心線と東急東横線の直通化改良に伴い、東急東横線は’13年03月16日から東急ヒカリエの下に位置する新しい地下5階の駅舎へ移転し、東京メトロ銀座線(3号線)はその乗換の利便性を図るため?ヒカリエ側への移転工事が進められていて’21年に完成する予定となっています。それらに続いてJR埼京線のホーム移転などが行われる計画である。この姿を称して、現代のサグラダ・ファミリアと言われているとかいないとか…。
Tuesday, October 07, 2014
’14年 台風18号
今日の台風はまれに見る首都圏直撃ですごかったですね。ネットでたまたま現在の台風の進路を見たら、”いままさに直撃”だったので貼っておく事にします。
筆者のところの通勤路線は今朝も平常通りで、特に遅れてもいませんでした。会社休めないじゃないか〜(笑)。
終着駅シリーズ199:八代(’11年05月02日撮影)
上の写真が薩摩おれんじ鉄道の始発駅、下の写真がJR九州の鹿児島本線の終着駅であり、肥薩線の始発駅です。
駅は九州鉄道によって1896年11月21日に松橋からの路線延長によって開業します。その後時は流れ、路線は国有化され、さらに鹿児島本線の全通時代を経て、新幹線の開業とともにこの駅が鹿児島本線の終着駅となり、並行在来線として廃止と鳴る区間は薩摩おれんじ鉄道としてJRから切り離された、3セクとなりました。
肥薩線は開通当初は、現おれんじ鉄道より先んじて開業したことから、開通当初は鹿児島本線を名乗っていて、現在の路線形態は先祖帰りしたかのような不思議な歴史のめぐりあわせとなっています。
Sunday, September 21, 2014
終着駅シリーズ198:奥多摩(’11年10月23日撮影)
なんだか車のダッシュボードが写ってしまっていますが、JR東日本の青梅線の終着駅の奥多摩です。
駅(路線)は1944年07月21日に御嶽駅からの延長開業によって歴史が始まります。
撮影したこの年は10月だというのに、まだまだ夏の雰囲気の年でした。
Sunday, September 07, 2014
Saturday, August 30, 2014
終着駅シリーズ197:鳥羽(’10年08月11日撮影)
駅(路線)は1911年07月21日に参宮線の山田−鳥羽間の延長開業により、なんとJRの駅として開業します。
現在の駅は、JR?どこ?と思うぐらいに近鉄の駅になっていて、次から次へと発車する近鉄特急を尻目に、たいていは1両のJRのディーゼルがときたま乗客も少なく発車しています。写真は駅前に建つ、鳥羽バスターミナルからの撮影です。伊勢に来たら、伊勢うどんでも食べるか?と思ったのですが、なぜかこしのあるうどんでした。関西人向けなのかもしれません。何の話だか?
終着駅シリーズ196:新豊橋(’10年08月11日撮影)
駅(路線)は1927年10月01日に旧花田駅から、この駅まで開業し渥美鉄道の新豊橋となります。
’08年06月05日には、かつての平屋の建物から、現在の3階建ての駅舎に建て替えられています。
駅名に新が着くのは、新幹線の専売特許のようなところがありますが、ここ東海地区ではそれは私鉄の駅を指します。東海道新幹線で東京から下ると新富士駅を最後に、新静岡(静岡鉄道)、新浜松(遠州鉄道)、新豊橋(豊橋鉄道)、新安城・新名古屋・新岐阜・新羽島(名古屋鉄道)とことごとく私鉄の駅名になっていて、次に新が着く新幹線の駅名はなんと新大阪までありません。
最近では名鉄のイメージアップ戦略?で新名古屋は名鉄名古屋、新岐阜は名鉄岐阜に変更になりましたが、新幹線の駅に新が着く事はありません(あたりまえ)。
Saturday, August 16, 2014
終着駅シリーズ195:西高島平(’10年07月11日撮影)
駅は’76年05月06日に開業します。当初の計画は、ここから先の区間は事業主体が東武鉄道となって和光市駅に接続して、東武東上線に乗入れる計画でした。このおかげで1号線浅草線と同じ1435mmで建設される予定だった軌間が1067mmに変更になって建設が始まります。ところが最終的に東武鉄道がこの計画に難色を示したことで頓挫します。
以降はさいたま方面への延長計画など(現在の首都高池袋線となっている用地)が浮かんでは、消えて行き、未だにこの駅で、延長可能な構造のまま、終着駅としての営業が続けられています。
6号線三田線の悲運は南側にもあり、1067mmへ軌間が変更になったことで、南側は泉岳寺より(泉岳寺までは建設済みだった)五反田へ路線を延長し(1号線浅草線と並行?)そこから、東急池上線と大井町線さらに田園都市線へと乗入れる計画でした。ところがこちらも東武鉄道への計画と同時期に頓挫してしまいます。現在の東急目黒線への乗り入れの計画に変更になってからは、未使用だった三田−泉岳寺間のトンネルが埋められ、急カーブを切って現在の路線になっています。
現在では1号線浅草線から京急への乗り入れは、空港アクセス路線となり、品川ー泉岳寺ー三田間の線路設備の関係で電車本数が制限され、連絡が悪くなっている面が否めません。当初の1435mmで建設されていたら、随分と違ったのではないかと想像せずにはいられません。しかも泉岳寺の駅前は、山手線の新しい駅の設置とともに大規模再開発が予定されていて、輸送量の急増が見込まれるにもかかわらず、この線はその手前で急カーブを切って逃げてしまうという悲運ぶりですからね。
話がだいぶそれましたが、そんな栄枯盛衰と悲運を感じざるを得ない終着駅がここです。
Monday, July 21, 2014
終着駅シリーズ194:東葉勝田台(’10年06月16日撮影)
駅は’68年05月01日に開業しています。割と新しい駅なんですね。
その後の’96年04月27日にはこの地を終点とする東葉高速鉄道が開通しています。今ではすっかりベッドタウンの地として定着したように見え、駅前からは見渡す限りの住宅街が続いています。
駅は京成電鉄と地下通路を共用していて、同一駅のように見えます。しかし駅名は違っていて、京成電鉄側は冠がつかない勝田台駅になっています。元祖の風格というところでしょうか?(そうかな?w)
Sunday, June 15, 2014
終着駅シリーズ193:東武日光(’10年05月08日撮影)
駅は’29年10月01日に開業しています。この開通時には既に東武日光軌道線が完成していて、ここから馬返方面へ行く乗客の乗換駅となりました。その後軌道線は廃止となり、現在は駅前に日光の各方面にへ行くバス乗場が出来ています。
写真は駅の表正面です。というか裏口はないと思います。隣に並ぶJRの駅が小さい小さい駅なのに比べて威厳のある堂々とした駅舎になっています。
Sunday, June 08, 2014
終着駅シリーズ192:弘前(’10年05月01日撮影)
駅は1894年12月01日に官営鉄道の青森からの終着駅として開業します。この駅を始発とする弘南鉄道は1927年09月07日に津軽尾上までの区間が開業し、この駅は始発駅としての機能を得ます。それぞれの路線は逐次延長されて現在の形と成ります。
写真は駅の西口、つまり弘南鉄道側の出入口です。左側の大きい建物がJRで右側の小さい建物が弘南鉄道の駅舎でデザインが統一されていて、いいですね。
Sunday, May 25, 2014
終着駅シリーズ191:三厩(’10年05月01日撮影)
三厩は津軽線の終着駅です。JR東日本と本州の最北端の駅になります。と言いたいところですが、意外な伏兵がいてJRは正解ですが、駅としては青函トンネル記念館のケーブルカーの体験坑道駅が本州最北になります。体験坑道駅はかつては竜飛海底駅に連絡していましたが’14年03月14日にこちらは廃駅となっています。
駅は’58年10月21日に開業し、民営化後も特に変化もなく、現在に至ります。北海道新幹線の工事が始まり、並行在来線としての扱いを受けるかと思われましたが、津軽線の区間は運営会社が違うという理由で、新幹線の開通後に並行在来線という扱いも受けないことになっています(なんだか不思議です)。北海道側の木古内−五稜郭間が新幹線開通と同時に廃止(JR北海道から切り離し、第3セクター化)が決定しているのとは対照的です。
さて、駅前には何もないように見えますが、ここから外が浜町営バスに連絡していて、竜飛岬方面に行く事ができます。昔話になりますが、筆者が乗りつぶし旅行でこの駅に最初に降りた時には、青森市交通局の路線バスがここから発着しているのを目撃していますが、とっくの昔に廃止になったようです。
Sunday, May 18, 2014
終着駅シリーズ190:青森(’10年04月30日撮影)
駅は東北本線の終着駅でしたが、新幹線の全線開業によって盛岡から北の区間はJRから切り離され、この駅は奥羽本線の終着駅になるという、考えても事態が良く飲み込めないことになっています。歴史的には1891年09月01日日本鉄道の青森駅として開業。1906年には既に国有化されています。その後時は流れ’10年12月04日には東北本線の一部の青い森鉄道への移管によって、同鉄道との共管駅となります。青函連絡船で北海道へ連絡していた時代はもう忘却のかなたです。
写真はその共管直前の様子ですが、駅前は新幹線の新青森乗入れに備えて、再開発などの工事が盛んに進められていますが、駅だけは忘れられたかのように、そのままになっていました。
























