豊橋鉄道渥美線の終着駅の三河田原です。
1924年6月10日に神戸−田原(現在の当駅)間が 渥美電鉄の駅として開業して終着駅となりました。その後1926年4月10日にはこの先の黒川原まで開業しています。しかしその後同電鉄は資金難からその先の区間の延長を断念することになります。
その一方で、1922年の(改正)鉄道敷設法に”七十、愛知県豊橋ヨリ伊良湖岬ニ至ル鉄道”として掲載されることになる。そして、これ以降は同区間を国鉄の路線として整備することになった。整備理由は、この先の沿線には軍需施設が点在すること、そして伊勢神宮への短絡ルートとしての期待であったという。
その後黒川原〜三河福江の区間では実際に路盤整備が終わり、三河福江駅の駅舎も完成し開業直前までこぎ着けたらしく、さらにその先の堀切までの用地買収が進んでいた。しかし戦局の悪化から’44年06月05日には三河田原〜黒川原間が不要不急路線として休止となってしまう。
結局、休止区間は戦後になっても豊橋鉄道には譲渡されす、’54年11月20日には名古屋鉄道の路線として廃止になっている。
○三河田原駅構内(黒川原駅方向)
現在の終点の三河田原駅構内。構内の線路配置はこの先にも路線があったことを伺わせるものとなっている。この構内配線も現在は駅付近の再開発工事の影響によって撤去されてしまい、もう見る事が出来なくなっています。再開発は線路の1面1線のホームを残して整理され、残った用地を駅前広場と幹線道路の再整備に充て新しい駅舎を建てるとのこと。
○三河福江駅付近(伊良湖岬方向)
伊良湖岬へのバス移動中に撮影。筆者この区間の工事が実際に進められていたことがあるとは知らなかったので、偶然に?撮影。
三河福江駅予定地はこの写真の手前約200メートルの消防署のところだったとか。
○道の駅、伊良湖岬
鉄道敷設法が目指していた伊良湖岬。もし、ここまでが国鉄線として開通していたなら、現在の交通体形はまた違うものになっていたのであろうか?
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