あさかぜ(2往復)、はやぶさ、富士、さくら、みずほが東京発で、明星(7往復)、彗星(7往復)、なは、あかつき(2往復)、安芸が大阪発で、金星が名古屋発、それと急行の雲仙・西海と阿蘇・国東。昔は夜行列車がいっぱいあったなー。いまのは山陽線を夜中に往来する夜行列車群。昭和50年代のお話だ。
いまでも何の資料も見ずに列車名がすらすら出てくる自分に驚く。というのも筆者はそのころ、よなよな実家の最寄の広島駅に入場券で入り、夜中じゅう夜行列車の写真を撮りまくったりしていた。夜中なので写真は全て長時間露光が必須、それを露出計もなしにカンでやるもんだから殆どの写真は失敗で、しかもそのネガを自分で現像するもんだからこれがまた失敗ばかり。そんなんで当時沢山撮ったネガは今ではほとんど逸散してしまっている。
夜中の広島駅には寝台特急は客扱いはしないが給水などの為、全ての列車が運転停車していた。それに、夜行座席急行雲仙・西海と阿蘇・国東が深夜に往路が2時ごろ、復路が3、4時ごろに発着するので、駅を閉めることもなく、いたしかたなく?24時間営業だった。当時はまだ今ほどコンビニが普及しておらず、夜中に空いているのはなぜか吉野家だけだったような気がする。そんな中、乗客の殆どいない駅は24時間営業なのだから、まさに親方の仕業だったのかもしれないね。27往復の列車が夜中の駅をせわしなく発着していたんだよね。本数がものすごく多くて、しかも適度に違う番線に入って走るのでとても全部追いきれるものではなかったのを記憶している。今日は彗星?号と明星?号を逃したなーとかそんな感じ。そしてA寝台個室を見てはいつかはあんな豪華な列車で旅行してみたいなーと思ったものだ。
時はながれ’09年3月14日。山陽線を走る夜行列車は全廃となった。あいつらはいったいどこに行ったのだろう?ひょっとすると今日夜中の駅に行くといるのかもしれない、なんて感覚がまだ抜けない。昔話をするようになったら云々。
写真は当時の金星号とカニパンの彗星号。金星の写真には多くの同士が写りこんでいるのが、今見るとなつかしい。
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