名古屋鉄道羽島線の終着駅の新羽島(しんはしま)です。’82年12月に岐阜羽島駅への接続改善を目的に路線延伸されました。
もちろん岐阜羽島(ぎふはしま)駅がすぐ目の前にあります。
バフェットに焦れて(仮)
Sunday, September 17, 2023
終着駅シリーズ438 本揖斐(’16年01月02日撮影)
名古屋鉄道揖斐線の終着駅の本揖斐です。’05年4月に全線廃止となっています。駅舎はスミサの建物の裏側に建てられていました。
線路があった側から見ます。全ての線路は撤去されバスの転回場兼バス乗り場となっています。
線路があった側から見ます。全ての線路は撤去されバスの転回場兼バス乗り場となっています。
終着駅シリーズ437 黒野(’16年01月02日撮影)
名古屋鉄道谷汲線の始発駅の黒野です。’05年4月をもって廃止となり、’13年4月には黒野駅レールパークとして駅部が保存されています。
’15年3月〜’16年2月には美濃駅より貸出し展示が行われていました。
’15年3月〜’16年2月には美濃駅より貸出し展示が行われていました。
終着駅シリーズ435 口羽(’15年11月21日撮影)
JR西日本三江線の途中駅の口羽(くちば)です。口羽は三江線全通以前の三江南線(三次ー口羽)の終着駅で1963年に開通しました。
ここから浜原までの区間が三江線で最後に開通した区間で露骨に線路規格が変わる不思議路線でした。空中駅で有名な宇都井もこの区間にありました。
ここから浜原までの区間が三江線で最後に開通した区間で露骨に線路規格が変わる不思議路線でした。空中駅で有名な宇都井もこの区間にありました。
終着駅シリーズ433 女川(’15年10月25日撮影)
JR東日本石巻線の終着駅の女川(おながわ)です。’11年3月の東日本大震災で発生した津波を受け駅舎は消失してしまいました。復旧には終着駅の地盤高さを7m嵩上げし、約200mかつての終点より手前に駅舎を再建することになり、写真の大きな駅舎が’15年3月に落成しました。
大きな駅舎ですが無人駅で、殆どのスペースが”女川町温泉温浴施設 ゆぽっぽ”と呼ばれる日帰り温泉として営業しています。
約200m短くなったかつての石巻線の路線部には、”シーパルピア女川”という商店街が整備されています。
シーパルピア女川のつきあたりには、旧女川駅舎の外観を復元した建物、”女川水産業体験館 あいがんステーション”が建っていて、かつての女川駅舎を偲ぶ事ができます。 女川水産業体験館 あいがんステーションから海側はかつての地面が広がっていて、女川町海岸公園となっています。その一角に保存されたこの建物遺構が、かつて女川駅前に建っていた女川交番の遺構でその場所で震災遺構として保存されることになっています。
大きな駅舎ですが無人駅で、殆どのスペースが”女川町温泉温浴施設 ゆぽっぽ”と呼ばれる日帰り温泉として営業しています。
約200m短くなったかつての石巻線の路線部には、”シーパルピア女川”という商店街が整備されています。
シーパルピア女川のつきあたりには、旧女川駅舎の外観を復元した建物、”女川水産業体験館 あいがんステーション”が建っていて、かつての女川駅舎を偲ぶ事ができます。 女川水産業体験館 あいがんステーションから海側はかつての地面が広がっていて、女川町海岸公園となっています。その一角に保存されたこの建物遺構が、かつて女川駅前に建っていた女川交番の遺構でその場所で震災遺構として保存されることになっています。
終着駅シリーズ432 石巻(’15年10月25日撮影)
JR東日本仙石線の終着駅の石巻です。石巻線への乗換駅です。
2枚目の写真はかつての仙石線の石巻駅の跡地です。仙石線の駅はその歴史的経緯から駅舎が通りを挟んで別になっていましたが、仙石東北ラインの運転にともなって、石巻線の駅にまとめられました。
2枚目の写真はかつての仙石線の石巻駅の跡地です。仙石線の駅はその歴史的経緯から駅舎が通りを挟んで別になっていましたが、仙石東北ラインの運転にともなって、石巻線の駅にまとめられました。
終着駅シリーズ431 高城町(’15年10月25日撮影)
JR東日本、東北本線支線(仙石線・東北本線接続線)の終着駅の高城町です。この支線の開通で石巻方面の電車?はこの支線を経由した仙石東北ラインとして運転されるようになり、仙石線の電車は基本的にこの高城町での折り返しとなりました。
終着駅シリーズ427 槻木(’15年04月27日撮影)
阿武隈急行の終着駅で東北本線との乗換駅です。阿武隈急行のこの部分は’68年に国鉄丸森線(槻木ー丸森)として開業しましたが、国鉄改革の一環として第1次特定地方交通線(営業キロが30km以下で旅客輸送密度が2000人/日未満)に指定され、’86年に現在の第三セクター鉄道である阿武隈急行に転換されています。
Wednesday, August 16, 2023
終着駅シリーズ3 北濃(’16年01月01日撮影)
長良川鉄道越美南線の終着駅で、駅番号は37です。
国鉄時代に越美北線と結ばれる予定で建設された越美南線は1934年にここまで開通。しかし、その後国鉄改革の時代に入り、ここより北側に新線が建設されることはなかった。’86年には第三セクターの長良川鉄道に経営が引き継がれて現在に至っています。
国鉄時代に越美北線と結ばれる予定で建設された越美南線は1934年にここまで開通。しかし、その後国鉄改革の時代に入り、ここより北側に新線が建設されることはなかった。’86年には第三セクターの長良川鉄道に経営が引き継がれて現在に至っています。
終着駅シリーズ425 美濃(’16年01月01日撮影)
かつての名鉄美濃町線の終着駅の美濃です。 2005年に駅本屋およびプラットホーム・線路が国の登録有形文化財として登録され保存されています。
路線は1911年に上有知駅(こうずちえき)として開通し、以来、美濃町→新美濃町→美濃と数度の改名ののち、’99年4月に新関以北の廃線に伴って廃駅となりました。
路線は1911年に上有知駅(こうずちえき)として開通し、以来、美濃町→新美濃町→美濃と数度の改名ののち、’99年4月に新関以北の廃線に伴って廃駅となりました。
終着駅シリーズ66 関(’16年01月01日撮影)
かつての名鉄美濃町線の終着駅の関です。
’99年04月の新関−美濃間の部分廃止のあと、利用者の便を図るために新関から長良川鉄道の関に連絡するここまでの路線延長をし(手続き上は路線移設とのこと)ここ関が終着駅となりました。
新関−関間は’99年04月から’05年04月までのちょうど6年しか、電車が運転されなかったことになり、近年の廃線では特筆すべき短命でした。
最後の1枚は隣接する長良川鉄道の関駅の写真です。
’99年04月の新関−美濃間の部分廃止のあと、利用者の便を図るために新関から長良川鉄道の関に連絡するここまでの路線延長をし(手続き上は路線移設とのこと)ここ関が終着駅となりました。
新関−関間は’99年04月から’05年04月までのちょうど6年しか、電車が運転されなかったことになり、近年の廃線では特筆すべき短命でした。
最後の1枚は隣接する長良川鉄道の関駅の写真です。
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