大分交通は耶馬渓線の終着駅の守実温泉(もりざねおんせん)です。
この線は1924年06月16日に中津よりここまでの区間が全通し終着駅となります。そして1971年10月01日にはここより野路までの区間が部分廃止となり、ここは終着駅としての役割を終えます。さらに’75年には全線廃止となります。
かつての駅は、上の写真の山国町商工会館の前にあったようです。その前がバス(大分北部バス)の折り返し場所となっています。下側の写真はコアやまくにと呼ばれる、中津市役所山国支所、図書館とミュージアム、タウンホール、カフェなどの複合施設です。高い塔は展望台となっています。一部をかつての線路敷きにはみ出すような形で建てられているので、線路跡を辿って歩いているとここで迷子になります(わら)。
Monday, October 31, 2016
Saturday, October 22, 2016
Wednesday, October 19, 2016
終着駅シリーズ289:若松(’12年04月30日撮影)
JR九州は筑豊本線の始発駅の若松です。駅は1891年08月30日に筑豊興業鉄道の若松〜直方間の開通に伴って開業しました。石炭の積み出しを目的として開設された同駅は広い構内を持つ貨物主体の駅で、かつての筑豊の石炭の生産を支えていました。
今ではかつての広い構内は全て整理され、わずか1面2線のホームを残す寂しいものに変わっていました。またこの路線の線形から旅客の需要は多くなく、大都市の北九州市内にありながら、とてもひっそりとしています。
駅前には若松区役所が鎮座しています。域内の交通は、北九州市営バスの独占地域となっています。福岡県で西鉄以外のバスに独占されている地域はないに等しく珍しいものとなっています。また、このバスがsuicaなどの交通系共通ICカードが一切使えず、独自のICカードの導入がされていて、なかなか骨の折れるところです。
その若松区、かつては北側に響灘という海岸線がありましたが、現在は広く埋め立てられ学園都市が形成されています。駅の様子も次第に変わってゆくのかもしれませんね。
今ではかつての広い構内は全て整理され、わずか1面2線のホームを残す寂しいものに変わっていました。またこの路線の線形から旅客の需要は多くなく、大都市の北九州市内にありながら、とてもひっそりとしています。
駅前には若松区役所が鎮座しています。域内の交通は、北九州市営バスの独占地域となっています。福岡県で西鉄以外のバスに独占されている地域はないに等しく珍しいものとなっています。また、このバスがsuicaなどの交通系共通ICカードが一切使えず、独自のICカードの導入がされていて、なかなか骨の折れるところです。
その若松区、かつては北側に響灘という海岸線がありましたが、現在は広く埋め立てられ学園都市が形成されています。駅の様子も次第に変わってゆくのかもしれませんね。
Tuesday, October 11, 2016
終着駅シリーズ288:日田(’12年04月29日撮影)
JR九州は久大本線の途中駅の日田です。本当は日田彦山線の終着駅の日田ですと書こうかと思ったのですが、この線は2つ手前の夜明が終着駅なんですね。線名に日田とあるのにその駅まで線がない、このような例は珍しいと思うのだがどうなんだろ?
歴史的には’34年03月03日に夜明からの延伸開業によって久大線の終着駅となります。’34年11月15日には当駅〜天ヶ瀬間が開通し同線の全通となっています。
’15年には駅舎の改修が行われ、現在はこの写真とは違った外観となっているようです。新しい駅舎デザインは水戸岡氏によるものらしい。個人的には氏のデザインはあまり好きになれず、できればやめてほしいのよね〜(笑)。昭和国鉄の外観の方が100倍立派だと思うのは筆者だけなのだろうか?。それにしても日田の市街地は道路がとても狭く、駅前まで車で入るのに難儀な感じでした。
歴史的には’34年03月03日に夜明からの延伸開業によって久大線の終着駅となります。’34年11月15日には当駅〜天ヶ瀬間が開通し同線の全通となっています。
’15年には駅舎の改修が行われ、現在はこの写真とは違った外観となっているようです。新しい駅舎デザインは水戸岡氏によるものらしい。個人的には氏のデザインはあまり好きになれず、できればやめてほしいのよね〜(笑)。昭和国鉄の外観の方が100倍立派だと思うのは筆者だけなのだろうか?。それにしても日田の市街地は道路がとても狭く、駅前まで車で入るのに難儀な感じでした。
Sunday, October 09, 2016
Saturday, October 08, 2016
Sunday, October 02, 2016
Saturday, October 01, 2016
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